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2010年8月29日





先入観を捨て、信頼する





ヨハネ16章25〜33節




  

@ 今朝は、生ける創造主を信頼していく信仰の実践について学びたいと思います。

A さて、イエス様は、「わたしと父(創造主)とは一つです。」(10章30節)と言われ、

いつも父の立場に立って話され、また父の御心を行われました。

ところがパリサイ人や祭司長たちは、それを理解できず「神を冒涜する者」として、イエス様を

殺しにかかったのです。確かに、目に見える人間を神と理解することは難しかったでしょう。

しかし、旧約聖書には、「神の子が人となって生まれる」と明確に預言されていたのです。

聖書に精通していた彼らがそれを理解できなかったのはどうしてなのでしょうか。

又、イエス様と共に過ごした弟子たちでさえ、十字架を目前にするまで理解できず

「私たちに父を見せてください。」と言っています。

このように、彼らの目を曇らせていたのは一体何だったのでしょうか。

それは、「目に見えない全能主が、罪深い人間の形を取るはずがない。」という人間的な解釈の

先入観でした。この先入観が壊されないと、イエス様のことばは彼らの心に

入っていかなかったのです。


B では、
先入観とそれを超えた信仰について考えてみましょう。

私たちも信じる前はいろいろな先入観を持っていました。

罪について分かり、裁きについて分かっても、「信じるだけで救われる。」とか、

「信じるだけで罪が赦される。」なんてことは、「有り得ない!」という否定的な先入観が、

心に渦巻いていました。その疑いの思いが心の壁となり反発となって、心の中まで入って

いかなかったのです。ところが、一瞬のうちに、心の壁や反発が消えて、「イエス・キリストを

信じればいいんだ。ごちゃごちゃ考える必要なんてないんだ。」と、

子どものような素直な心にされ、「信じます。」と言えました。

それは、すべての疑問が解決して信じたのではなく、ただ聖霊の働きによって、人間的な先入観が

取り去られ、イエス様の側に立って見ることが出来たからです。
そして、
心で「そうなんだ。」と

同意できたのです。
さらに主は、信仰を明らかにした弟子たちに言われました。

「あなたがたは世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に

勝ったのです。」と。これは、イエス・キリストを信じた者が後になって、イエス様の側に立つと

様々な問題や困難や苦しみがやってくる事を意味しています。そんな時、恐ろしくなり、

小心となり、心が縮こまったりするかも知れません。それは、神様を信じたのだから、

「こんなはずがない。」と勝手な先入観を持って、困難から逃げようとするからです。

しかし、弱気になって諦め、逃げたりせずに、どこまでも主を信頼していくように勧められて

いるのです。何故なら、
イエス様はすでに世に勝って、どんなことも、私達を助けることが

出来るからです。だから「勇敢でありなさい。」と励まされたのです。

C 私たちは、
生きている主を証ししたい」と願っています。

そのために、全能の神への信頼さえあれば、どんなことでもかなえられることを、

この世でも通用するかテストしたいのです。ジョージ・ミュラーさんは、その証をしました。

そして、イエス様は、ミュラーさんを、どこまでも助けられました。そのミュラーさんの神は、

私達と同じ神です。だから、私たちも、教会に与えられた大ビジョンが実現するとき、生きて

おられる神の栄光が表されるでしょう。
人間的な先入観を捨てて子どものように主に信頼して、

生きている主がこの時代にも、神の子の祈りを聞いてバイブルランドを造り上げてくださることを

証ししていきましょう。
              

                                        

  
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