『完全な仕える心』
マタイ4章1〜11節
@ 今朝は、悪魔の試みに対するイエス様の対応から、「完全な仕える心」について
学びたいと思います。
A さて、4章には、イエス様に対する悪魔の試みについて記されています。
本来なら、悪魔が神の子に近づくことは出来ないし、有り得ないことです。
しかし、神の子が被造物である罪深い人の形を取られた為に、悪魔は近づいてきたのです。
そして、創造主と被造物という交じり合わないものが一つとなる、という矛盾を責め立てるために
やってきました。
B では、悪魔の試みに対して、イエス様がどのような「完全な仕える心」を持って
対応されて行ったかを見ていきましょう。
イエス様は、四十日四十夜、断食した後で空腹を覚えられたときに、悪魔はやって来て言いました。
「あなたが神の子なら、この石ころをパンにして食べなさい。神の子ならその力があるんだろう。」
と。次に、聖なる都の神殿の頂に立たせて言いました。「あなたが神の子なら、下に飛び降りて
みなさい。神は御使いに命じて助けてくれるから。」と。これらの挑戦に対して、もしイエス様が
ムキになって自分の力を表わされたなら、悪魔は、「人の子となったのは見せかけだ」と馬鹿にし、
勝ち誇ったことでしょう。しかし、イエス様はその口車に乗るようなことはされませんでした。
どこまでも神が人となってきた、人間としての立場を取られたのです。そのイエス様に対して悪魔は
言いました。では「もし人間であるなら、私を拝め。
そうすれば、この世の栄華を全部上げるから。」と。ここでイエス様は、その必要はない
「引き下がれ、サタン。」と言われて、完全に退けられたのです。
この一連のイエス様の対応を見るとき、イエス様が自分の気持ちや考えに従わず、
終始、父なる神のお考えに従って、天から来られた人の子として行動しておられた事が分かります。
それはイエス様が、「人間の救い主」となられるためでした。そして「仕える者の姿」を
取られたのです。「仕える者」は、自分の考えを駆使して仕えるのではなく、遣わした方の考えに
立って行動していくことが「仕える者」の真の姿です。
私たちの教会も、この心で主に仕えていきたいのです。自分を「空っぽの器」にし「仕える心」を
持って、ジョージ・ミラーさんのように、働きを始めていきたいのです。ミラーさんは、一介の
貧しい牧師にすぎませんでしたが、孤児院を設立し、多くの孤児たちを養いました。
それは、「孤児の父は天の父だ。」という御言に立って、天の父が責任を負ってくださるのだから、
天の父の考えに立ってやっていこうと始めたのです。彼の証は、生きている神がおられることと、
本気で主に信頼していく者に、主は驚くべき事をしてくださるお方であることを
実証していきました。その根底にあるものは、世の感覚や自分の考えに頼らない「空っぽの器」を
もって、イエス様が父なる神に従われたように、疑問を挟まず、御言葉をそのまま行っていこうと
した「仕える心」です。
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