教 会 案 内 牧 師 紹 介 定 期 集 会 特 別 集 会
定 期 メ ッセージ  シ ョ ー ト メッセージ 福 音 の 話
行   事 教 会 新 聞 掲 示 板 リ ン ク 事 務 室


2010年12月12日



神の奥義と歩み


エペソ1章3〜14節




  

@ 今朝は、パウロに明かされた神の奥義について考え、

それを土台としたクリスチャンの歩みについて
学んでいきたいと思います。

A さて、パウロの使命は、長い間隠されていた、

神の永遠の救いの計画を明らかにすることでした。それは奥義としての真理です。

まず神は人間をお造りになったとき、人に命の息を吹き込まれました。

それによって人間は生きる者となりました。ところが、エバは悪魔に誘惑され、

「神の如くなりたい」と思い上がって罪を犯しました。それによって、被造物である人間は、

廃棄処分となるところを、神は、エバが犯した罪を贖うことを通して、私たちを

救おうとされたのです。そのために、神の御子イエス・キリストが十字架につけられ、

贖いを成し遂げられました。ですから、キリストにあって私たちは罪の赦しを受けて

いるのです。そして、私たちは、イエス・キリストにあって御国を受け継ぐ者とされ、

その保証として御霊の証印を押されたのです。
この恵は、ユダヤ人だけでなく異邦人にも

及んでいます。それが神の永遠の御計画であったのです。

B 
では、神の永遠のご計画に預かり、世界の基の置かれる前からキリストにあって選ばれた

私たちは、どのように歩んでいくべきでしょうか。


この救いを土台として、歩みについて考えようとすると、私たちは、直ぐに、自分の努力や行いに

目が向きます。そして失敗すると「自分で取り戻せ。」と、また自分の力に頼って解決しようと

します。これが悪魔の巧妙な罠です。なぜなら、元々罪人の私たちは、悪魔の罠とも気づかず、

自分の努力に頼り、失敗を取り返し、最後は、もうダメだと諦めてし来ました。

このような情けない私たちは、自分の罪に対して自分で立ち向かって勝利を得ることは

出来ません。だから、
神の御子が来て、代わりに罪を解決してくださったのです。

ですから、へりくだってイエス・キリストの所に行けばいいのです。

すると、キリストにあって赦してもらえるのです。ここに目を向けないと、悪魔は、私たちを

責め続けて、訴え続けるのです。しかし、悪魔に訴えられ責められたら言って下さい。

「お前から責められるのは、当然だ。しかし、今は神の御子によって、罪は解決されている。

キリストにあって罪の罰は代わりに支払って貰い、聖い者とされているのだ。」と。

だから、そんな私たちがなお罪を犯してしまったなら、先ず、正直に隠さずにそのまま認めて

告白していくのです。すると、神はその罪を赦し、すべての悪から私たちを聖めて

くださるのです。

私たちは自分の罪の責任を負えない者です。ただ認めるだけです。そしてイエス様の所に行けば

いいのです。イエス様が私たちの罪の贖いのために血を流してくださったからです。


ですから私たちは、大胆に神に近づけるのです。

こうして、聖徒の受け継ぐものが、どんなに栄光に富んだものか知ることが出来、霊的祝福を

味うのです。私たちは、キリストの故に父の心と一つになって、神の満ち満ちた様にまで

満たされていくのです。


C 私たちは、天の祝福の中に召されました。ですから、召しに相応しく生き、また神にならう

者になっていくようにと言われています。
もし罪を犯したなら、悔い改めて、初めの愛に

返っていけばいいのです。そして、御心にかなった生き方をしていくのです。たとえ失敗を繰り

返しても、悔い改めて、信仰の妨げを取り除いていきましょう。

そして、主の働きのために用いてもらいましょう。これが、クリスチャンの地上の歩みです。

                                        

  
 *メニュー
      * 教 会 案 内
      * 牧 師 紹 介
      * 定 期 集 会
      * 特 別 集 会
      * 定期メッセージ
      * ショートメッセージ
      * 福 音 の 話
      * 行       事
      * 教 会 新 聞
      * 掲  示  板
      * リ  ン  ク
      * 事  務  室