@ 今朝は、使徒時代の聖霊の働きに目を留め、また、それと同時に働く悪霊の働きにも
目を留めて、どのように立ち向かって行けばいいのか学んで行きたいと思います。
A さて、使徒行伝を読むと、いつも霊が燃えてきます。
特に今朝のこの箇所は、私の伝道者としての原点です。
それは、「聖書に書いてあることは今日も起こる。」と証ししていきたいと思わされたのは、
この箇所からであったからです。
たった一人のメッセンジャーから、数千人から数万人の人々に語りかけられ、そのメッセージが
生き生きと、一人一人の魂に語り掛けられているのを見ます。これは、まさに聖霊の働き以外
ありません。確かに自分の能力や力を考えたら、ムリだろうなと思います。しかし、主がさせて
下さり、聖霊の働かれる所なら、「そのようになるんだな」と励まされるのです。
B では、使徒たちに起こった出来事を見ていきましょう。
甦られたイエス様が昇天されてから、弟子たちはエルサレムで父なる神の約束を
待っていました。そして五旬節の日に、聖霊のバプテスマが起こったのです。
その時の激しい物音を聞いて集まって来た人々は、使徒たちが自分たちの国の言葉で語って
いるのを目の当たりにして、酒に酔っているのだと思ったのです。そこでペテロは立ち上がって
語り出しました。「今は朝の9時ですから、酔っているのではありません。」
「あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は甦らせました。その方が、今みている
聖霊をお注そぎになったのです。私たちはみな、その事の証人です。」と、
ハッキリと証ししました。
人々はこれを聞いて、「あの方はやっぱり神の子だったのか!」と心を刺され、不安になって
言いました。「私たちはどうしたらよいでしょうか。」と。
わずか一月半前までは、多くの群衆は、「十字架につけろ!」「十字架につけろ!」と
叫び続け、また、十字架上のイエス様に対しては、「神の子なら十字架から降りてこい。
そうすれば信じるから。」と悪口雑言を浴びせていたのです。
この変化こそ聖霊の働きによる意外にはありません。聖霊が働くと人々の心の壁が崩され、
反発が取りのけられるのです。
これこそ、「聖書に書いてあることが今日にも起こる」という事なのです。
しかし、悪霊が働く時の心の変化についても私たちは見ていくべきです。
それは、私たちの日常の中でいつも経験していることだからです。エルサレムの群衆は、
イエス様がロバの子に乗ってエルサレムに入城されたとき、歓喜をもって出迎えました。
ところが一週間後には心が変わり、「十字架につけろ!」と叫んだのです。
そこに悪霊が働き、悪霊に踊らされてしまった群衆の姿があります。悪霊は、イエス様をも
誘惑したように、私たちクリスチャンに対しても日常的に働いてきます。
例えば、自分ではそうしたくはないのに、卑怯な思いが心に浮かんでくるとか、
いつも、だめだ、だめだと思わされてしまう。これはまさに悪魔の働きです。
ですから、オカシイと思ったとき、イエス・キリストの御名の権威によって悪霊を
退けるべきです。
エルサレムの群衆も、甦りのメッセージを聞いて、自分たちが間違っていたと我に返り、
悔い改めるように導かれたとき、悪霊の惑わしを退け、すぐ御霊の導きに従ったのです。
この時信じて弟子に加えられた者は、三千人ほどでした。
C 聖書は断言しています。「肉は御霊に逆らい、御霊は肉に逆らう」と。
私たちの心の中では常に肉と、御霊がケンカしているのです。
しかし、主に用いられたいと願うなら、悪霊の声を退け、御霊の声に聞き従うべきです。
なぜなら、私達の本心は、主に従いたいと思っているからです。それが、出来ないと思わされて
いるのは、悪霊の妨げがあるからです。私達の戦いは、血肉に対する者ではなく、
空中の支配者である、悪霊との戦いであるとはっきり書かれています。
ですから、御霊の働かれるところには、悪霊も働くことを心に留めて、目に見えない妨げに、
戦っていきましょう。 |