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2010年10月31日



前向きなシンプルな信仰


使徒8章9〜25節




  

@ 今朝は、「出来ない」という心に留まらないシンプルな信仰について学びたいと思います。

A さて、ステパノの殉教を契機に激しい迫害が起こり、信者はみな、ユダヤとサマリヤの

諸地方に散らされていきました。ピリポはサマリヤの町に行ってキリストを宣べ伝え、

多くの人々が信じてバプテスマを受けました。その中に、魔術師シモンがいました。

彼は、魔術を行ってサマリヤの人々を驚かせ、自分自身をも偉大な者だと話していたのです。

しかし、信じてバプテスマを受けてからは、ピリポについて回り、しるしと奇蹟を見て

驚いていました。そして、さらに驚くことが起こりました。

彼は、ペテロとヨハネが手を置いて祈ると御霊が下るのを見たのです。

その光景を見た時、自分もその権威が欲しいと思い、お金で買おうとしたのです。

ところがペテロは言いました。「この悪事を悔い改めて、主に祈りなさい。

あなたは、まだ苦い胆汁と不義のきずなの中にいる。」と。

B では、ペテロがシモンに対して言ったことばから学んでみましょう。

16節では、サマリヤの人々にはまだ聖霊が下っていなかったと言われています。

しかし、2章において聖霊はすでに下っていましたから、今日のクリスチャンと同じように

サマリヤの人々にも聖霊の内住はあったと思われます。しかしながら、目に見える形での聖霊の

満たしを受けたのは、ペテロやヨハネが手を置いて祈ったときでした。それはしるしを

伴うもので、聖霊の賜物です。

それを見たシモンは、自分の魔術との違いを感じ取り、自分もその権威が欲しいと思うほどに

魅力的なものだったのです。確かに、悪魔もしるしを行いますが、しかし、
御霊によるものは、

全能の神の力が臨むのですから力があり、人知を超えています。


しかしその賜物はお金で買えるものではありません。それをお金で買おうとしたシモンの心に

よこしまな肉の思いがあることを指摘しているのです。


信じてもなお、苦い胆汁と不義のきずなの中にいるからだと。

では、「
苦い胆汁と不義のきずな」とは何でしょうか。

それは、信じる前に持っていた習慣的なやり方や考え方です。それが信じた後でもフッと出て

くるのです。それが信仰の妨げとなり、成長を阻んでいます。ですから、私たちの中にある、

過去の考え方や習慣を退けていくべきです。ところが、これらは自分で決心しても、

中々とれません。すぐ「出来なかった。ダメだ・・・」となってしまいます。

こうして、「昔の癖が中々取り除けない」と思い続けて、力のないクルシミチャンになって

しまうのです。「ダメだ。出来ない。」と思ったら、その考えが心に留まるからです。

しかし、お金で神の賜物を買おうとしたシモンにさえ、

ペテロは、「その思いを持つお前はダメだ」とは言いませんでした。

「この悪事を悔い改めて主に祈りなさい。」と言っているのです。

それに対して
シモンは、「ダメだ。」という中には入らず、「私のために主に祈ってください。」

と、苦き胆汁と不義のきずなを断ち切って反対の方向に向く心を持ったのです。


C 私たちは、「主に用いられたい」と願っています。

そのためには、「出来ない」というかたくなな心を捨てるべきです。

捨てれば、「分かりました」となり、へりくだって、「主よ。助けてください。」と

シンプルに主に頼っていくようになるからです。
出来ないと思う我にとらわれると、

心は複雑になり不信仰の虜にますから、前向きなシンプルな信仰へと決断していきましょう。

                                        

  
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