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2010年1月17日





本気の信仰





ルカ14章25〜35節




  

@ 今朝は、信仰=安心であることを確認し、主が求めておられる本気の信仰の心について学びたい

と思います。

A さて、私たちは先週、
「安心する心こそが信仰である」と学びました。

辞書で安心をひもとくと、「心配や不安が無くて、心が安らぐこと。」とあります。

またそれに関連して、
安心決定安心立命という熟語が記されていますが、その意味はこうです。

安心決定」とは、ひたすら信じて疑わないこと。また、「安心立命」とは、心を安らかにし、

身を天命に任せ、どんな場合にも動じないこと。これは正しく、創り主に心を定め、ひたすら主に

信頼して主に委ね、疑わないで安心している心の状態
ではないでしょうか。

この心を、私たちは日々の生き方の中に味わっていく信仰でありたいのです。

そのベースとなるのは
本気の信仰です。

B では、
本気の信仰について学んでみましょう。

イエス様があるパリサイ派の指導者の家に招かれたとき、客のひとりが言いました。

「神の国で食事する人は、何と幸いなことでしょう。」と。それに対して主は、たとえ話をされまし

た。ある人が盛大な宴会を催し、大勢の人を招きましたが、だれひとり来ようとはしませんでした。

「畑を買ったので・・・」、「牛を買ったので・・・」、「結婚したので・・・」と、それぞれが

忙しいと言って来ようとしなかったのです。彼らは、地上のことに心を奪われていたからです。

そこで主は言われました。「わたしのもとに来て、自分の父、母、妻、子、兄弟、姉妹、そのうえ

自分のいのちまでも憎まない者は、わたしの弟子になることができません。自分の十字架を負って

わたしに着いてこない者は、わたしの弟子になることは出来ません。」と。

さらに、「自分の財産の全部を捨てないでは、わたしの弟子となることは出来ません。」と。

これは、「何を大事にすべきか?」と言うことを教えておられます。本当に弟子となりたいなら、

地上で大事にしているものよりも、主を大事にしなければついて行けないからです。

言い換えるなら、「本気で神の国で食事をしたいと思うなら、地上のものを捨てて神の国を

選びなさい。」と言われているのです。その本気の覚悟がなく、地上も欲しいし、天も欲しいという

二心では、塔を建て始めても完成できずに挫折してしまう者となってしまうからです。

これは私たちに語られていることです。これまでの十数年間、私たちは、自分たちが人間的な方策を

講じてあれこれ動くのではなく、ひたすら主が動き出して下さるのを待ち続けてきました。

ジョージ・ミラーさんと同じ一途な信仰を選んできました。

私たちの教会は、本気の精神を持っています。ですから、「絶対に主はして下さる。」と安心できる

のです。

C 
創り主は本気で私たちを愛し、御子さえも惜しまずに十字架につけられ

私たちを贖って下さいました。だから私たちも本気で一途に信頼していくのです。

そこには、本心からのへりくだりの心が必要です。それがないと、主の()さったことを自分の

栄光にしてしまうからです。主は未信者の心をも変えられ、主を求める者として下さるお方です。

私たちはこの主に信頼して安心しましょう。そして、本気の心でひたすら仕えていきましょう。 

                                        

  
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