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2010年1月10日





安心する心こそが信仰





ルカ8章22〜25節




  

@ 今朝は、安心する心こそが「信仰」であると学んでいきたいと思います。

A さて、イエス様は、舟に乗り弟子たちと向こう岸へ渡っている時、ぐっすりと眠ってしまわれ

ました。ところが突風が起こり水をかぶって危険な状態になってしました。そこで弟子たちは、

眠っているイエス様に「私たちはおぼれて死にそうです。」と起こしたのです。その言葉には、

「どうして知らん振りをしているのですか?」という腹立たしい気持ちがありました。

今にも転覆しそうだったからです。ところが主は、風と荒波を沈めて言われました。

「あなたがたの信仰はどこにあるのです。」と弟子の不信仰の心を責められたのです。


B では、この時、弟子たちにはどんな不信仰があったのでしょうか。もしこの時、イエス様が

眠っておられなかったら、弟子たちは、こんなにもヒステリックにはならなかったでしょう。

目の前にいる主が助けてくれると思えたからです。ところが、主は、水をかぶっても、大揺れに

揺れても、ぐっすり眠っておられ起きようとはされませんでした。しかも、溺れて死にそうだと

パニックになっている弟子たちに、「あなたがたの信仰はどこにあるのですか?」と叱責されたの

です。この時のイエス様の心は、「何を心配しているのだ。私がそばにいるではないか。たとい

眠っていても、あなたがたはわたしに守られている。だから安心していなさい。」と、弟子たちの

信仰の心を引き出そうとされたのではないでしょうか。即ち、「信頼する安心。」―これがイエス様

の求めておられたものです。あの、イエス様の御足に香油を塗った罪深い女に対し、「あなたの信仰

があなたを救ったのです。安心して行きなさい。」といわれ、また、12年間長血を患った女にも、

同じように言われました。「あなたの信仰があなたを直したのです。安心して行きなさい。」と。

彼女たちの心にあったものは、「救われたい!助けてもらいたい!という不安な気持ち。」でした。

それ故に、なりふり構わずイエス様の所にやってきたのです。このへりくだって近づいて来た心を、

主は受けとめられて言われたのです。「安心して行きなさい。」と。
主に信頼するこころが

あるなら「安心していていいのです。」これが、イエス様の考えでした。

ですから、
信仰=安心」だと分かります。たとい弟子たちのように、生きるか死ぬかの状況の

中に置かれても、主に信頼してグチらず、安心している信仰こそ、「立派な信仰だ。」と

言ってくださるのです。

C 今イエス様は天におられ、私たちの目には見えませんから、ちょうど弟子達の時と同じように、

私たちの目からは、眠っておられるような状態です。それでも、「安心していなさい。」と

語りかけられるのです。それは、私たちの命を創られた創り主は、いつも天から見ておられ、

私たちを守っていてくださるからです。この方に対する信頼の心を信仰によってイメージし、

心の中でつかみ取ってください。そこに、平安な心、安心する心がイメージされてくるはず

ですから。
「安心する心こそが信仰である。」この信仰を、私たちの心の中から

引き出しましょう。そして、信頼の中に安心し、慎みの心を持って、主に仕えていきましょう。

                                        

  
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