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2010年1月3日





罪人を招くために来てくださった





ルカ7章36〜50節




  

@ 今朝は、イエス様が来られたのは、

「正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来られた。」
ということを

学んでいきたいと思います。

A さて、パリサイ人から食事に招かれて席に着いていたイエス様の下に、ひとりの罪深い女が

やってきました。彼女は、一見して罪深い女と分かるような者で、おそらく遊女だったでしょう。

そのような女がパリサイ人の家に来るということ自体、考えられないことでした。

何故なら、パリサイ人は厳格な行いの中に歩もうとしていた人々ですから、その中に入ることは、

裁きの白い目にさらされることになるからです。ですから彼女は、そこに行けば非難され、

「出て行け!売女め!」と追い出されるかもしれないと恐れていました。にもかかわらず、

イエス様がそこにいらっしゃると聞き、お会いしたいという一途な心で、なりふり構わず

やって来たのです。そして、家に入るなりイエス様の足を涙でぬらし、髪の毛でぬぐい、

御足に口づけして、香油を塗ったのです。


B では、この女の仕草に対して、パリサイ人たちとイエス様の反応はどうようだったので

しょうか。まず、パリサイ人は、女にされるままにしているイエス様に対して反発の心を

持ちました。彼等にとっては、彼女のような女が来ることもイヤでしたし、ましてや、罪深い女に

触られる事さえ虫ずが走るような嫌悪感を持ったのです。彼等は、自分自身が汚れてしまうような

ものを感じ、その心がイエス様をいぶかる心となったのです。

ところがイエス様は、なりふり構わず近づいてきた彼女の心を受け入れられました。

そして心で反発しているパリサイ人に(たと)えを持って(さと)されたのです。

「五百デナリの借金を赦された者と、五十デナリの借金を赦された者とでは、どちらがよけい

金貸しを愛するようになるか。」と。

彼等は答えました。「よけいに赦してもらった方だと思います。」

そこでイエス様は、パリサイ人に、「私が来たときに、あなたは足を洗う水をくれましたか?

また頭に油を塗ってくれましたか?」と彼女との違いを明らかにされました。

そして
女に言われたのです。「あなたの罪は赦されています。あなたの信仰が、

あなたを救ったのです。安心して行きなさい。」と。
実にこの所を読んだとき、

私は「この罪深い女だ。」と思いました。そして、「こんな者が受け入れられているんだ。」と

恐れを覚えました。そして、このイエス様のお気持ちが、ルカ5章31,32節に記されている

ことを思い出しました。すなわち、
「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。

私は正しい人を招くためではなく、罪人を招いて、悔い改めさせるために来たのです。」
と。

ですからこの女が来たとき、イエス様の心は、「お前のために来たのだ。」と張り裂ける思いで

あられたことでしょう。
イエス様は、この女のように、ありのままの状態で、

罪人が罪人のままで、格好つけずに救いを求めてくることを願っておられたのです。

このへりくだった心を主は受け入れて下さるのです。

C 私たち人間は皆罪人です。誠実に生きていると思っている人も、厳格に自分を律して生きている

と思っている人も、自分は罪人であることを認めねばなりません。そして、格好つけずに、

そのありのままの姿でイエス様に近づいていくべきなのです。

また、「自分はダメな人間だ・・・」とカラに閉じこもって、後ろ向きになるのではなく、

「ただへりくだって罪人は罪人のままで救いを願うべきです。」

主はそのあなたを待っておられるのです。ですから、思い通りにできなくても、

主の(もと)に行き、主の恵みの(もと)に留まりましょう。
(ヨハネ15:5

                                        

  
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