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2009年 NO.303





『聖地エルサレムの学び』V 

 

   
 現在のエルサレムの城壁は、イエス様の時代の城壁より小さく、南側が縮小されています。

そのため、シロアムの池とか大祭司カヤパの家、最後の晩餐の部屋などは、現在の城壁の外に

ありますので、少々戸惑いを覚えます。ですから、予めイエス様の時代の城壁の地図を把握

して聖地旅行に行く必要があります。

 又、ヘロデ大王の宮殿とヘロデ・アンティパスの宮殿跡は別々ですので、理解しておく必要

があります。

  ◎ ヘロデ大王(BC37〜BC4年)→幼児殺しとエルサレム神殿の修復の王。

  ◎ アケラオ(BC4年〜AD6年)大王の死後ユダヤとサマリヤを治めるが、

    失政によってAD6年にローマの直轄領となり、エルサレムにローマ総督府が置かれる。

    ピラトはAD26年〜36年まで総督となり、イエス様を処刑した。

  ◎国主ヘロデ(BC4〜AD39年)ヘロデ・アンティパスともいい、ガリラヤの領主となる。

   イエス様の時代のヘロデはこのアンティパスで、バプテスマのヨハネを殺した。

   主の十字架の時の王。

  ◎ヘロデ・アグリッパ一世(AD37〜44年)ヘロデ大王の孫で、使徒ヤコブを殺し、

   虫にかまれて死ぬ。

  ◎ヘロデ・アグリッパ二世(AD48〜70年)大王の曾孫でパウロを尋問する。

   又、アントニアの城はヘロデ大王が建てた砦で、ローマの将軍マルクス・アントニウス

  (BC82〜30年)に敬意を表して名をつけた。それは、イドマヤ人のヘロデが

   ユダヤの王となるために、ローマに取り入り、その見返りとしてBC37年にユダヤの

   王に任命された。後に総督ピラトがエルサレムの滞在中に住み、この庭でイエスの裁判

   をし、ムチで打った。発掘により敷石(アラム語でガバタ→ヨハネ19:13)と

   呼ばれる場所で裁判した場所が発見されている。

   
現在の聖墳墓教会

旧市街の城壁とダビデの塔。
ダビデの塔は美術館にもなっており、
古代の貴重な美術品が展示されている。



                   
              



     
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