ショートメッセージ
  
  
教 会 案 内 牧 師 紹 介 定 期 集 会 特 別 集 会
定 期 メ ッセージ  シ ョ ー ト メッセージ 福 音 の 話
行   事 教 会 新 聞 掲 示 板 リ ン ク 事 務 室
2009年 NO.279







自然界に見る創造主の足跡』NO.6





 今日の科学者は、全生涯を費やして、「神は存在しない」ことを一生懸命に証明しようと

全エネルギーを費やしています。
そのために、自然発生的に物質から生命が発生したことを

証明しようと、新しい素粒子を見つけるために、信じがたいほどの時間と努力と莫大な費用を

費やしています。そして、新しい素粒子が見つかると、何か生命の起源を発見したかのように

その努力を喜ぶのです。ところが、「生命が自然発生しない。」ということは、パスツールの

実験によってすでに証明されています。しかし、いまなお万物の起源の元を探り、全ての物の

スタートを探ろうとしているのです。これは、生命がいつどのようにして生まれたかという研究

ではなく、外部の知性の働きを認めるか、認めないかの問題であり、すなわち、「神がいるか、

いないか」を証明しようとしていることです。パスツールは、「生物は物からは発生しない。」

と証明したのに、今なお、今日の高校の教科書の中には、勝手に「物質が自己代謝能力と、

自己複製能力を獲得して原始生物が誕生したと考えられています。
」と記しています。これは、

今日の科学者が今なお「生命の起源が、全く知性の介入のない偶然の中から出た。」という

考えに立っているからです。この自然界の法則は、放置されたものは、そのエネルギーを失い

崩壊していくという法則の中にあり、下り坂の反応しかないのです。それが、放置された物質が、

秩序を獲得してどんどん上り坂の反応をするというのなら、何らかの外部の知性が働かないと

ありえません。自然界には、細胞を構成するために必要なものと、不必要なものがあります。

それは選別され、必要なものだけ選択されていかなければいけません。その知性の働きは、

たとえ物から進化するとしても、必要です。すると現実は、「神がいなければ、私たちの存在は

ありえなかった。」ということです。
すなわち、この世の知識を追い求めた神なしの研究は、

無駄な労苦となってしまうのです。これは、聖書が言う、「人の骨折った労苦がなんとすべて

むなしいことよ。風を追うようなものだ。」(伝道の書2:11)ということなのです。

 


 



                   
              



     
 *メニュー
      * 教 会 案 内
      * 牧 師 紹 介
      * 定 期 集 会
      * 特 別 集 会
      * 定期メッセージ
      * ショートメッセージ
      * 福 音 の 話
      * 行       事
      * 教 会 新 聞
      * 掲  示  板
      * リ  ン  ク
      * 事  務  室