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2009年5月17日





『信仰から信仰へ』


                 


ローマ4章1〜8節、18〜22節


@ 今朝は、キリストを信じる信仰によって義とされた私たちが、信仰から信仰へと進んでいく事

について学びたい
と思います。

A さて、一章に於いてパウロは、「私は、ギリシャ人にも未開人にも、知識のある人にも知識の

ない人にも、返さなければならない負債を負っています。」と言っています。ですから、ローマに

いるあなた方にも、ぜひ福音を伝えたいのですと。何故なら、福音には神の義が啓示されており、

全ての人が、御国で生きる特権を与えられたからです。さらに、神の義を得た人々は、アブラハム

の信仰に習い、信仰に始まり信仰に進んでいくようにと語っているのです。

B では、アブラハムの信仰について学びながら、「信仰から信仰へ進むとは、どういう事なの

か」学んでみましょう。まず、ローマにいるユダヤ人クリスチャンたちは、異邦人であるローマ人

を軽く見て、軽蔑していました。しかし、パウロは、あなた方も同じ事をしている、と指摘して

います。それは、ユダヤ人は人間の代表として神に選ばれた民であり、神の御心を証しする者

でしたが、主に忠実な者ではありませんでした。ですから、全ての人が罪人で、「義人はいない。

ひとりもいない。」と言うのが現実であると訴えています。だから、誰一人行いに於いてまさった

者はなく、一つでも罪を行えば罪人として裁きをうけるのです。なぜなら、神にはえこひいきが

ないからです。それ故に神は、戒めを守る方法ではなく、キリストを信じる信仰によって義と

される道を開かれました。それは、アブラハムもまた、行いではなく、信仰によって義とされた人

だからです。彼は百歳になり、サラも老いて子を産めない状態でしたが、「子孫を満天の星の

ようにする」と言われた神の約束を疑わず、かえって信仰は益々強くなり、神には約束されたこと

を成就する力があることを堅く信じたのです。それ故に、それが彼の義とみなされたのです。

私たちだったら現実を見て、「無理だろうな。たとい神が言われても、出来ないものは出来ない。」

と思ってしまいがちです。しかし、クリスチャンとして、信仰によって生きるとは信じ続ける

ところにあるのです。世の人々は、堅実な生き方をしていこうとしています。自分が出来る範囲の

中で生きていくということです。

しかし私たちは、
「主に信頼するが故に、主が成し遂げてくださる。」との御ことばに立って、

自分の判断に立たず、どこまでも主を信じて生きていく生き方を通していきたいのです。


アブラハムは、信じ得ないときに信じ通しました。その結果、神は奇跡的にイサクをお与えに

なったのです。私たちは、神に義とされたのですから、アブラハムのようにどこまでも純粋に

信仰を貫き通すことが、信仰から信仰へと進む道だと分かって来ます。

C 私たちには、人間的な努力を一つも求められてはいません。ただ、どこまでも主に信頼して

いくようにと勧められているだけです。その根底にあるのは、「砕かれた悔いし心」です。

自分のこだわりに立たず、どこまでも主に信頼し、へりくだって信じていく心です。

私たちは、損得に立つ我を砕き、主が成し遂げてくださるということを信じる信仰によって始めた

歩みを、信仰によって進んでいくのです。最後までこの信仰を表していきましょう。 



    


                                        

  
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