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2009年4月19日





 


       『砕かれた悔いた心』


                 マルコ7章24〜30節




@ 今朝は、ツロの女の対応から、砕かれた悔いた心について学びたいと思います。

そして、神であられるイエス様が共にいて下さる事を覚えたい
と思います。

A さて、今回マルコの福音書を読んで、あらためて思わされたことは、「イエス様って、ほんと

に神だなぁ。」ということです。これまでは、「人となって下さった主が、私たちの罪の贖いを

してくださった。」ことに、意識が留められて来ました。しかし今回、主がなさった様々な奇蹟を

読んで、あらためて神の権威を覚えさせられたのです。イエス様は、神であられるからこそ出来た

ことであり、そのことを思うと、私たちに確信と喜びがわきあがってきます。

それは、「イエス様に頼れば大丈夫だ。」という確信が増し、このイエス様にある喜びが増すから

です。そして、自分の持っているパンと魚を差し出した少年のように、私たちも、「私を使って

下さい。」と自分自身を差し出したくなるのです。その時私たちに必要なものは、主に使われ

易い、砕かれた悔いた心を持つことです。

B では、砕かれた悔いた心について学んでみましょう。ツロの女には、汚れた霊につかれた娘が

いました。彼女はイエス様に、娘から悪霊を追い出してほしいと願いました。ところがイエス様は

素っ気なくお答えになり、「まず子供たちに満腹させなければなりません。子供たちのパンを取り

上げて、子犬になげてやるのはよくないことです。」と拒否されました。このような言い方を

されたら、私達は、「あ、そうですか。こんなに頭を下げているのに、そんな冷たい言い方を

するんですか!」と、腐って反抗してしまうでしょう。

ところが彼女は、
「主よ。その通りです。」と、あえて反発せず、心を開いて認めたのです。

彼女は、自分の反発したくなる肉の思いを引いて、気持ち素直にしたのです。これが心を砕く

ということです。
もし、主に従っていきたいと願うなら、この心は絶対に持たなければなりま

せん。

反抗心を持ちつつ、主に従うことは出来ないからです。ところが、聖書に精通していたパリサイ人

たちでさえ、イエス様に反発し、自分たちの言い伝えを大事にして、神の戒めをないがしろにする

ようなことをしていたのです。彼らは、神のことばより、自分たちの感情や気持ちを大事にして

いたからです。
本当に主に仕えたい、用いられたいと願うなら、自分の感覚、感情は関係がない

のです。先ず神の御心を優先する砕かれた心が必要です。
ツロの女は、「その通りです。」と主の

お考えを認めた上で言いました。「でも、食卓の下の子犬でも、子供たちのパンくずを頂きます。」

と。これほどのへりくだりの心を持ったら、「そうまで言うのですか。」と言わざるを得ません。

そこで主は言われました。「家にお帰りなさい。悪霊はあなたの娘から出て行きました。」と。

主は言葉だけで悪霊を追い出す、神の権威を表されました。女が帰ってみると、おことば通り

だったのです。私たちも、自分の気持ちを切り替えて主の御心に従っていく、砕かれた心をもって

主に従っていくべきです。

C 私たちは少ない人数ですが、神であるイエス様が共にいて下さる事を覚えたら、怖いものは
           
わず 
ありません。ギデオンも僅かばかりの勇者たちによって勝利を得たように、人数ではありません。

神であるイエス様が共にいて下さるのなら、へりくだってイエス様のために働いていきましょう。




    


                                        

  
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