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2008年9月28日








『しばらくの苦しみの後で』



マタイ16章13〜28節





@ 今朝は、イエス様が、「ご自分がキリストであることをだれにも言ってはならない。」と

弟子たちを戒められたその真意を考え、そこから、私たちの信仰のあり方を学んでいきた
いと

思います。

A さて、イエス様は弟子たちに、「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」と尋ねられ

た時、ペテロは「あなたは、生ける神の御子キリストです。」と答えました。この時、ペテロが、

イエス様を人間的レベルではなく、天のレベルで見上げた事を主は喜ばれ、「このことをあなたに

明らかにしたのは、天にいます私の父です。」と言われて彼の霊的理解力を喜ばれました。

ところがイエス様は、すぐその後で、「わたしがキリストであることをだれにも言ってはなら

ない。」と、口止めされました。なぜでしょうか?ご自分がメシヤであることを証するために

来られたのに!どうしてこんなことを言われたのでしょうか?

B その真意について考えてみましょう。イエス様は、ペテロが告白したときから、ご自分が

「苦しみを受け、殺され、三日目に甦る」ことについて話し始められました。すると、ペテロは

イエス様に言ったのです。「そんなことがあなたに起こるはずがありません。」「あなたは、

神の子キリストだからです。」ところがイエス様は彼に向かって、「下がれ。サタン。あなたは

わたしの邪魔をするものだ。神のことを思わないで人のことを思っている。」と叱られました。

ペテロは、イエス様を「神の子救い主」と思っていましたので、「そんなことがあるはずが

ない。」と思ったのです。しかしそれは、イエス様の働きの邪魔をする、サタンの言葉だったの

です。というのは、「イエス様が、人間の罪の代わりとなって苦しみを受け、救い主になることは

いけません。」と言うのと同じだったからです。すなわち、ペテロが「イエス様は神の子キリスト

です。」と吹聴することは、イエスをイスラエルの解放者として祭り上げようとする力が強く

なり、十字架まで行けなくなってしまうからです。イエス様は、この世の解放者ではなく、

「苦しみを受け、命を捨てるために来られたメシヤであった」からです。ですから、弟子たちに

言われました。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、

そしてわたしについて来なさい。」と。私達にも、苦しみの道を求められているのです。

実にイエス様は、苦しみを受けるために来られたのです。そのことを否定する言葉は、サタンの

言葉であり、イエス様の働きを邪魔するものだったのです。神の子なら、決して苦しみに遭わない

という考え方は、間違っています。

C このことは私たちにも、言えることです。すなわち「クリスチャンが苦しみに遭うことは、

おかしい」というのはサタンの言葉であり、救い主はアブラハムに対し、モーセ、ヨセフ、

ダビデに苦しみの道を通されました。
そして、「たとえそうであっても」主に従う砕かれた

悔いた心を求められたのです。それは、自分の力ではなく、主の仰る通りにやっていこうとする

信仰を学ぶことであり、信仰を実践することだからです。私達の教会は、様々な苦しみを通って

きましたが、それは、ただ主の手によって祝福を受ける道だったのです。それを、おかしいという

のは、サタンの言葉です。主は、「しばらくの苦しみの後で、不動の者とする。」とあります

から、イエス様と同じ道を歩んで来たことは、正しいことだったのです。
なぜなら、兄弟達も、

同じ苦しみの道を通ってきたからです。ここから、「主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。」

という御言が、始まるのです。










    


                                        

  
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