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2008年8月10日







『私の主』




ヨハネ6章22節〜35節






@ 今朝は、「神のわざを行うために、何をすべきか。」を考え、学びたいと思います。

A さて、五つのパンと二匹の魚によって五千人以上の群衆が満腹して、一夜明けた後、彼らは

イエス様を追いかけカペナウムまでやって来ました。そんな彼らに対して主は、「あなたがたが

私を捜して来ているのは、ただパンを食べて満腹したからです。そんな、なくなる食物のためでは

なく、永遠のいのちに至る食物のために、働きなさい。」と言われました。すると彼らは、

「何をすべきでしょうか。」。と聞き返えしてきたのです。そこで、イエス様は言われました。

「あなたがたが、神が遣わした者を信じること、それが神のわざです。」と。

B では、「神が遣わした者を信じること、それが神のわざです。」と言われた意味について

考えてみましょう。群衆は、イエス様を、永遠の命を与えてくださる方としてではなく、現実に

満腹させてくれる方として求めて来ていました。しかし、主が与えたいと思っておられたものは、

永遠に至る食物でした。それ故に、「なくなる食物のためではなく、永遠のいのちに至る食物の

ために、働きなさい。」と言われたのです。しかし、ユダヤ人にとって、神が人間の形をしている

ことを受け入れることは難しかったので、「このパンを食べるなら永遠に生きるのだ」と語られる

と、大勢の人々がイエス様から離れて行きました。彼らには、「イエス様を神の子として信じる」

という神のわざを行うことが出来なかったからです。しかし私たちは、イエス様を信じています。

ですから今、「神が遣わされたお方を信じた者」としてふさわしい行動をとることが、『神のわざ

を行うこと』です。その行動は、確信をから出る必要があります。その確信は、「信じ込むような

もの」ではなく、イエス様と自分との関係を、実態的に感じ取って行くことです。どのようにして

か?それは「自分のいのち」に触れることによってです。というのは、偶然からいのちが出来

上がることはなく、全能主の英知によって与えられた命であることは間違えの無いことですから、

自分のいのちに触れた時、『私の創造主、私の神、私の主』として確信することが、信仰の実態で

あり、その確信こそが神のわざです。これを揺ぎ無いものとして確信を持って人々に福音を伝えて

いくことが、神のわざを行うことなのです。

C 
イエス・キリストは、死んで終わりではなく、甦られました。この甦りこそ、信じる者の

希望であり、永遠のいのちを持ち、永遠に神と共に生きることの保証です。又、この甦りに

よって、人の子であるキリストは、神と一つであることが明らかとなりました。私たちは、

この方に信頼して生きていけばいいのです。この確信を大胆に持って、イエス・キリストの救いを

伝えていく、神のわざに励んでいきましょう。
   




    


                                        

  
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