『御霊と御力による伝道』
第Tコリント1章18節〜2章5節
@ 今朝は、御霊と御力による伝道について学びたいと思います。
A さて、2章5節では、「私の宣教とは、説得力のある知恵の言葉によって行われたものでは
なく、御霊と御力の現われでした。」とあります。なんと感謝な事でしょうか。それは、私たち
自身も、この世の知恵の言葉と知識によって救われたのではなく、御霊と御力の現われであった
ことを確信できますから。というのは、もし知識で信じたのであれば、いろいろな問題が起こって
来た時に、「頭で分かっていても・・・」と言ってキリストから離れて行ってしまっていたと思う
からです。しかし私たちは、どんな問題があっても、感情がついていかないからといって離れる
ことはありませんでした。それは、御霊と御力によって支えられてきたからです。
これこそ、救いが御霊と御力にあったことの確信です。
B では、「神は、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められた。」という
ことについて考えてみましょう。これまでは、宣教の言葉の愚かさでは、ダメだと思わされていま
した。それは、「イエス様を信じれば救われるよ。」と語っても、それを馬鹿にする人がたくさん
いたからです。ですから、こんな話し方ではダメだというネガティブな考えが入っていました。
しかし、今はまさに聖書が言っているように、「これでいいんだ。」と、はっきりと確信できます。
それは、「神の存在は、被造物によってはっきりと認められ、人間には弁解の余地はないのだ。」
という真理が、はっきりしたからです。今は、弁明する必要があれば、知識によってもはっきりと
弁明できる備えが出来ています。ですから、このことが分かれば、『イエス様を信じて受け入れ
れば、あなたも救われますよ。』とはっきり言うことができます。伝道には、この両輪が必要です。
これまでは片輪だけだったので、不安があったのです。特に最近、情報について学ぶことによって、
弁明することに恐れを持つ必要がない、と分かってきました。
例えば、生命というものは、目に見えない非物質的なものです。すなわち、「目に見えないモノが、
目に見えるモノから生まれることはない。」からです。即ち、「生物に必要な物質が完璧に揃い、
しかもその生み出される環境が完璧であったとしても、それで生命が生み出される訳ではない。」
からです。なぜなら、情報がなければ、動き出さないし、又情報は、目に見えないもので、物から
生まれることはなく、情報は、発信者がいなければ、存在しないからです。即ち、コンピューター
があっても、ソフトがなければ又、電源がなければ動きません。同じように、生物を生きたものと
するには、DNAという情報とエネルギーが必要なのです。その情報の発信者こそ、『創り主』で
あり、エネルギーこそ「霊」です。ですから、人が生きる物となるためには、情報が入り、電源が
入らないと命はスタートしません。ですから、創造主によって生かされているという論理は完璧
です。ですから、この確信を持って宣教のことばの愚かさで伝道していけばいいのです。
C 私たちは、「キリストが罪の贖いをしてくださったから、信じて受け取れば救われますよ。」
と、確信をもって伝えるなら伝わります。御ことばの約束に対する確信さえあれば、福音は伝わり
ます。私たちは永遠の命を頂いたのですから、主に信頼し、確信を持って宣べ伝えていきましょう。 |
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