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2008年7月13日






『キリスト一筋に』






第Tコリント6章19節〜20節







@ 今朝は、使徒パウロがいつも目を留めて意識している所はどこかを考え、キリスト一筋に

生きる、その心を学んでいきたい
と思います。

A さて、パウロが、コリントの教会にあるさまざまな問題に対して、アドバイスしているコツが

なんであるかを汲み取っていきたいと思います。というのも、クリスチャンの生き方は、方法論に

あるのではなく、心の持ち方にあるからです。そして、その心を私たちの心の土台とし、残りの

人生をキリストのために歩んで行きたいからです。

B では、コリントの教会にあった問題と、それらに対するパウロの答えについて見て行きま

しょう。コリントの教会には実に多くの問題がありました。分裂、分派、不品行、争い、男女の

問題や夫婦について、また偶像に捧げた肉に関して、そして、パウロの使徒としての権利の問題

等々です。これらに対するパウロの答え方、そのメッセージは一貫しています。それは、どんな

事も、イエス・キリストにあって考える。ということです。確かに、コリントの教会の現実は、

異邦人の中にも無いような不品行を行っているというものでした。そんな彼らに対してパウロは

言います。「古いパン種を取り除け。何故なら、あなたがたはパン種のない者だから。それという

のも、あなたがたには過ぎ越しの子羊であるイエス・キリストの血が塗られており、聖なる者と

されているからだ。このキリスト・イエスあって、もはや裁かれるようなパン種は無いのだから、

そんな愚かなことはやめなさい。」と言っています。パウロは、あれだけの問題を見ても、

「あなた方は、パン種のないものだから。」と言っています。それは、キリスト・イエスの血が

塗られ、聖なる者とされているからです。すなわち恵みによって聖なる者とされた自分を見て、

生きて行きなさい。と言うのです。このパウロの心の根底にあるものは何でしょうか。彼は、

自分自身が創造主の前で、どんなに罪人か、また小さき者であり、世にあってはチリ、カス

(4:13)であると自覚していたことです。そんな自分が、創造主の御前に、聖なる者として

立つことができるという恵みは、全部キリストに拠るものだと確信し、その凄さをはっきりと

知っていたことです。ですから、パウロは、この意識の中にあって、キリスト一筋に生きていく心

を持っていたのです。そして、この真理をコリントの教会の信者にも自覚して欲しかったのです。

なぜなら、全ての問題の解決は、キリストに目を向けるところにあったからです。

C 私たちの体は、100%創造主によって創られたもので、自分で造ったところは1つもあり

ません。しかも、その中に、聖霊が住んでおられるのなら、もはや自分のための人生ではないこと

がはっきりします。
私たちは、すべてのことにおいて、主のために生き、主にあって価値があるか

どうかを考えていけばいいのです。ですから、自分の罪と無力さを思い知らされても、

諦めません。なぜなら、この命の価値は、主にあって存在し、この体を通して神の栄光を

表していくことだけが、私たちの生きがいだからです。

ですから、キリスト一筋に生きていく人生があるのです。
  




    


                                        

  
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