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2008年7月27日





『新しい体に変えられる』




第Tコリント5章35節〜52節









@ 今朝は、私たちが甦らされる事について学びたいと思います。

A さて、この15章を読んで、感動と喜びを受けました。それは、弱い自分が、強い者に甦ら

されるのだと確信したからです。どんな風に変えられるのでしょうか。今持っているこの体と、

どんな違いがあるのでしょうか?確かに、この血肉の命も創造主による凄い智恵の塊であることに

感動します。しかし、この命は罪によって汚れ、弱さで満ちています。

ですから、この血肉の体では満足できません。ところが、この卑しい体も、新しい体に変えら

れると思うと嬉しくなります。そこで聖書は言います。「血肉の体があるのだから、御霊に属する

体もあるのです。」と。即ち、この肉を脱ぎ捨て、天で生きて行くのにふさわしい新しい命に

変えられるとは、なんと感謝なことでしょうか。

B では、死者は、どのようにして甦るのでしょうか、見ていきましょう。(35節)。

例えば、麦の種粒は、蒔かれた後に、それ自体は死んで新しい実がなるのと同じように、

私たちの体も、死ななければ生きないのです。私たちは永遠の命の種を持っていますから、

この体は死んで新しい体、即ち、「御霊の体」を頂くのです。しかし、この地上においてではあり

ません。この地上では、たとい心を尽くして一生懸命やったとしても、それに見合ったものを

頂ける訳ではありません。ところが、私たちの創造主は、後でちゃんと報いて下さる方なのです。

その時は、終わりのラッパと共にやってきます。
そのラッパが鳴ると、キリストに属する者たちは

皆、一瞬のうちに甦り、新しい体に変えられるのです。そして、一人ひとりに冠が与えられます。

ですから、わたしたちの地上での労苦は、主にあって無駄ではありません。
確かに、地上では、

苦しく辛い中を通って行きますが、創造主は、主にある労苦に対してキチンと報いて下さるのです。

ですから、この地上の命に祝福を求めるのではなく、後に来る体に希望を持つのです。

振り返るなら、キリストを信じた時には、悩みは無くなり、バラ色の人生が待っていると思いま

した。ところが、イエス様ご自身さえ、この地上では何の見返りもなく、十字架にかけられました。

ですから私たちも、この地上での残りの生涯は、イエス様と同じ心を持って、見返りを求めず、

損得を考えずに、ただひたすら福音宣教の為に生きていくのです。確かに私たちは、世に在っては

小さく、弱く、見栄えのしないものです。しかし、御霊の体を頂き、強い者に甦らされるのです

から、こんなうれしいことはありません。ですから、前に向かって、励んで行きたいのです。


C では、甦りには、「おのおのにその順番がある。」とありますが、私たちの甦りの順番は、

後ろの方になるのでしょうか?聖書には、「まず初穂であるキリスト、次にキリストの再臨の時、

キリストに属している者です。」とあります。すなわち、私たちは、後ろの方で、イライラと順番

を待つというのではありません。クリスチャンは、差別なく、皆が2番なのです。何という恵みで

しょうか。ですから、パウロさんたちと同じように、甦るのです。ですから、堅く立って動か

されることなく、確信と喜びをもって主のために励んでいきましょう。 

 




    


                                        

  
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