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2008年2月24日



『御霊は生かす』
                                    



第Uコリント3章1節〜18節





       

@ 今朝は、「御霊は生かす。」という信仰の歩みについて学びたいと思います。

A さて、パウロが手紙で語る時の意識はいつも、人の心の板に書きつけようとして語って

います。それは、キリストを伝えるクリスチャンの生き方は、文字(律法)による外面的な

生き方ではなく、新しく生まれた者として、「御霊によって生きるように」と勧められて

いるからです。というのは、キリストを信じた時、御霊がその人に住まわれ、御霊によって

生きる者とされたからです。ですから、コリントの信じた人々は、みな御霊によって生き、

御霊は生かすことを味わっているのです。

B では、「御霊によって生きる」ことは、どういうことかについて考えてみましょう。

確かに、イエス・キリストを信じる者には、御霊が住んでおられます。しかしそれは、順風

満帆な人生を約束しているものではありません。

むしろ、私たちは、自分の思い通りには行かないことばかりであるのを味わっています。

しかし、クリスチャンには、祝福が約束されています。例えば、信仰の父であるアブラハム

について見て行くとき、彼は「星の数ほどに子孫が増える。」と約束されて、生まれ故郷を

出て来ましたが、なかなか子供が与えられませんでした。ところが、年老いて精も根も尽き

果てたときに、イサクが与えられたのです。しかし、その息子さえも取り上げられそうに

なりました。最終的に、アブラハムがカナンの地で得たものは、墓地だけだったのです。

このことから、いくら祝福を約束されていても、私たちの思い描いた通りには行かないこと

が分かります。これが地上の人生です。この人生に対して私たちがどのような心で取り組む

かによって、私たちの内に本当の信仰があるかどうかを試されるのです。
もし私たちが信仰

を働かせ、どこまでも主に信頼し、「たとえそうでなくても、主に信頼し、委ねます。」

という心を持って人生を送ったなら、主は、何をしたかという目に見える結果よりも、その

心を喜んで下さるのです。ですから、この心に立って生涯を歩むことが、御霊に従って生

きることです。


C 「あなたの道を主に委ねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。」−この生き方

をするようにと、これまで訓練されてきました。それは、自分本位の生き方を放棄し、信仰

に立って、御霊に委ねていく生き方です。そこには祈りが必要です。どんな些細なことにも、

御霊の働きを求め、祈りつつ始めるなら、そこに御霊の働きが起こってくるからです。

伝道するときも、初めからどんな言葉で語ろうかと分かっている訳ではありません。

しかし、御霊に信頼して行なうなら、御霊は相手の心が開かれるような言葉を与えてくだ

さり、その人の心の板に書き記されるのです。パウロの心はここにありました。私たちの

生き方もここにあります。そして、「御霊は生かす。」ということを味わって行くのです。

私たちも、御霊によって生かされる人生を歩んでいきましょう。





    


                                        

  
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