『神の右の座におられる』
第Tペテロ3章13節〜22節
@ 今朝は、「イエス・キリストは天に上り、御使いたち、および、もろもろの権威と
権力を従えて、神の右の座におられる。」という事が、私たちクリスチャンにとって
どんなに心強い事かを、学んでいきたいと思います。
A さて、コロサイ書には、これと関連した同じ御言があります。「神は、キリストに
おいて、すべての支配と権威の武装を解除してさらしものとし、彼らを捕虜として凱旋の
行列に加えられました。」(コロサイ2章15節)。それは、キリストは私たちの債務証書を
無効にして、この証書を取りのけ、十字架に釘付けにし、私たちの過去・現在・未来の全て
の罪を解決してくださり、私たちに立ち向かう、地上の権威権力を無力にされたからです。
ですから、私たちは、恐れるものがないのです。
しかしながら、私たちの地上の歩みは不完全であり、悩みやストレスがあって神から頂い
ている本来の幸いを味わっていないという現実もあります。
B では、私たちのこの現実を覚えつつ、キリストがもろもろの権威と権力を従えて、神の
右の座に着かれたということが、どんなに幸いなことかを考えてみましょう。先ず、何故
ストレスがあるのでしょうか。率直に言って、「自分の思い通りにできない。」からです。
私たちは、「自分の思い通りにしたい、思い通りに生きたい。」という願望がいつもあり
ます。しかし、決して思い通りにはなりません。この世には艱難があり、悩みがあります。
それは、初めの人アダムとエバから始まったことです。ですから、「自分の思い通りにで
きたら、喜びと満足がある。」と思いこんでいるのは、ダマシです。神は、人間が自分の
思い通りには出来ないように、禁止の木を置かれたのです。何故なら、人間が主人公では
なく、人間は従う者であるからです。その上、この世界は、アダムとエバの罪によって
呪われたものとなりましたから、上昇ではなく下降線を描いているのです。そんな滅び行く
世界に、神はわざわざ御子を送られ、人の罪の贖いをされました。それによって、この
地上のあらゆる権威と権力を捕虜として、勝利の凱旋を果たされたのです。ですから、
私たちの主はこの地上の権威を捕虜とされたお方であり、全ての問題を解決してくださる
お方なのです。ですから、私たちの前にやって来るストレスや問題は、自分の力で何とか
解決しようと悩むのではなく、キリストに委ねていけばいいのです。「主に信頼せよ。主が
成し遂げてくださる。」と、この御言を信じて、あらゆる問題を委ね任せていくなら、
全ての権威と権力を持って神の右の座におられるキリストが成し遂げてくださるのです。
これほど心強く確かなことはありません。イエス・キリストは、運命も宿命も握っておら
れるのですから、ただお任せして「今、自分の為すべき事をして行きます!」と、やって
いけばいいのです。
C 私たちには、創造主に任せて委ねていけるという特権があります。これを使うべき
です。そして、勝利と平安を味わうべきです。この確信と余裕がクリスチャンの特権です。
この確信と余裕を以って、説明を求める者に、優しく、慎み恐れて、また、正しい良心を
持って弁明していきましょう。 |
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