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2008年11月23日







『真理の二面性を学ぶ』




使徒21章17〜40節






@ 今朝は、エルサレムで律法的な行いをしたパウロの行動を通して、真理の二面性を学び、

クリスチャンを励ましていく働きが何であるかを学んでいきたい
と思います。

A さて、私たちの教会は、クリスチャンを励ます働きをしていきたいと願っています。

そのためには、クリスチャンが、どのような問題で躓き、霊的な力を失っているのかという本質を

知る必要があります。そこで、エルサレムでのパウロの行動が、一見異邦人クリスチャンを裏切り、

躓かせるような行動ですので、そのパウロの真意を理解しながら、クリスチャンのつまずきの

原因を考えていきたいと思います。

B では、エルサレムでのパウロの行動について見ていきましょう。彼は、エルサレムに着くと、

エルサレム教会の監督であったヤコブを訪問しました。

その時、ヤコブから言われたことが二つありました。それは、律法に熱心なユダヤ人クリスチャン

の誤解を解くため、「誓願を立てている四人の費用を出してやること。」また、「パウロ自身も

彼らと一緒に身を清め、律法を守って正しく歩んでいることを明らかにすること。」でした。

パウロはこの提案を受け入れ、律法的な行動を取りました。

 しかし、このことは異邦人クリスチャンにとって、騙されたように感じる事だったのです。

なぜなら、それまでのパウロの主張では、「割礼を受ける、受けないは関係なく、ただキリストを

信じる信仰によって救われる。」と言っていたからです。なのに、エルサレムにきたら、ユダヤ人

の手前、律法に熱心であることを表したのです。このことは、明らかに異邦人クリスチャンを

裏切り、がっかりさせる行為でした。しかし、パウロにとっては少しも矛盾していなかった

のです。

それは、もし、「律法を守らなければ救われない。」と言えば、真理に逆らうことになります。

しかし、律法を守ること自体は罪ではありませんから、救われたユダヤ人たちを、あえてつまず

かせないために、律法に従ったことは、彼らに対するパウロの愛の行為以外の何ものでもあり

ませんでした。ですから、初代教会においては、異邦人に対して、「偶像の神に供えた肉と、

血と、絞め殺した物と、不品行とを避けるべきだ。」と言われてきたのです。これは、ユダヤ人

たちをつまづかせないためでした。ユダヤ人と律法との結びつきは、異邦人である私たちには

考えられないほど強いものがあったからです。もしここで、パウロの行動を一面的で考えようと

すると、「パウロの福音は偽りだ。」と捉えられてしまうことでしょう。しかし、相反している

ように見えても、律法を救いの根拠においていないのですから、どちらも正しいのです。ここに

真理には、二面性がある事が分かります。

C クリスチャンの中には、「罪の悔い改めをしても、平安がないのは赦されていないからだ。」

と不安に落ち込む人たちもいます。確かに、平安を頂くことも事実ですが、何の平安がなくても、

条件をつけずにありのまま罪を告白したなら、グチィグチィ考える必要はありません。

イエス様が、全ての償いをしてくださったのですから、キリストの贖いに信頼すればいいのです。

赦されたという見返りを求める必要はありません。ここに、真理の二面性があります。


決して、一面で考えてはいけないのです。私たちは、この真理の二面性を正しく証しすることに

よって、不用に苦しんで確信を失っているクリスチャンを励ましていきたいと願っています。

ただ堅く信仰に立って、「キリストに大胆に信頼してよかったということ」を大胆に証しさせて

いただきましょう。 




    


                                        

  
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