教 会 案 内 牧 師 紹 介 定 期 集 会 特 別 集 会
定 期 メ ッセージ  シ ョ ー ト メッセージ 福 音 の 話
行   事 教 会 新 聞 掲 示 板 リ ン ク 事 務 室



2008年11月16日






『聖書を裏付けとして』



使徒16章16〜24節







@ 今朝は、ピリピでの出来事から、私たちは、聖書を裏付けとして是非を判断していくべき

ことを学んでいきたい
と思います。

A さて、使徒行伝の後半になって異邦人伝道が始まっていきますが、そこで感じることは、

救われる人が極端に少なくなってきているという事です。ユダヤ人は唯一の神とメシヤを信じて

いましたから、そのメシヤがイエスであることが分かると、多くの人々が信じることができました。

しかし、異邦人にとっては、福音は今まで聞いたことも、見たことも、考えたこともない世界の

ことですから、疑うことが正しいと思っている人々は、なかなか信じることが出来なかったの

です。それを突き破って、人々の心を開き、信じるきっかけとなったのが、御霊の働きだった

のです。


B では、このことをピリピで起こったことから学んでみましょう。パウロがピリピの町に行った

とき、占いの霊に憑かれた女奴隷に出会いました。この女は、パウロの後についてきては、邪魔を

しました。「この人たちは、いと高き神のしもべたちで、救いの道をあなた方に宣べ伝えている

人たちです。」と。この言葉だけでは、いいことを言っているように思えますが、パウロは、

困り果てていたのです。何故でしょうか?それは、占いの霊そのものが、悪魔から出ているから

です。占いの女がいくら正しいことを言っても、それは悪魔の霊なのです。悪魔は、光の御使いに

変装しては人を騙します。また、キリストに変装し、偽キリスト、偽預言者となって人々を騙し、

真理を見えなくするのです。正に、真理と偽りをごちゃ混ぜにして、如何にも全てが真理である

がごとくに思わせ、迷いの中に入れるのです。私たちは、占いの霊を肯定してはいけません。

真理と偽りが混じっているものは、ダマシの張本人である悪魔がそこにいると思うべきです。

悪魔のやり口は、黒も白と思わせるのですから。しかし、福音の世界はどうでしょう。

特に復活に関しては、聞いたこともなく、見たことも、触れたこともないものです。このような

ものに対して私たちは、頭から疑ったり、否定することはしていけないのです。なぜなら、全く

初めて聞くことは、ごちゃ混ぜのことではないのですから頭から疑えば、自分が王様になって

しまうのです。信仰は、こういう世界ですから、主が始めて教えようとすることにフタをしては

いけません。もし、疑ってしまえば、前に進んでいくことが出来なくなります。それは主の真実を

味わうことも、主の救いを味わう事も出来なくなります。ですから、信頼する部分と、警戒すべき

部分をはっきりと分けていくべきです。この判断をしていくために聖書があります。

御霊に導かれていくことは往々にして、こういうことが多いのです。その判断については、

聖書を裏付けとしていけばいいのです。

C 私たちの住んでいる異邦人社会は、真理とダマシがごちゃ混ぜになっています。

こういう世界に、これしかないと伝えるのは難しいことです。
しかし、「聖書に書いてあることは

今日も起こる。」と伝えることは正しいのですから、勇気を持って伝えていくべきです。


なぜなら、イエス・キリストは、昨日も今日も変わらない方だからです。この主が為さることに、

時の隔たりはありません。私たちの主は今日も共にいて下さるのですから、聖書を判断の裏

として、そのまま信じて伝えていきましょう。




    


                                        

  
 *メニュー
      * 教 会 案 内
      * 牧 師 紹 介
      * 定 期 集 会
      * 特 別 集 会
      * 定期メッセージ
      * ショートメッセージ
      * 福 音 の 話
      * 行       事
      * 教 会 新 聞
      * 掲  示  板
      * リ  ン  ク
      * 事  務  室