@ 今朝は、主に信頼する信仰について学びたいと思います。
A さて、信者が元気になり、成長していくためには、信仰の確信をハッキリとつかむ事が
大事なのです。というのは、信仰は、試練に会うごとに、次の二つの道のいずれかを取るからで
ある。すなわち、創り主を信頼することによって助けを得ることになるか、あるいは、創り主を
信頼しないことによって信仰が減少し、単純、直接に主を見つめる力がますます弱くなり、自分
により頼む習慣が促進されていくからです。だから、まず創造主と自分との関係が堅い結びつき
を得ることです。
B では、その結びつきについて考えてみましょう。創造主は、私たち人間に救いの道を与えら
れました。しかし、それは無条件に誰にでも、というのではありません。確かに無条件でやって
下さったのですが、それを心に受け入れた者を救われるのであって、イヤだと拒否した者には
救いは与えられないのです。創造主は信仰を見られるお方だからです。ですから、「そうなれば
いいな。」とか、「こうしてほしいな。」というような他人任せの信仰ではいけません。主への
信頼が薄いと何も与えられません。イエス様は、てんかんの息子を持つ親に、「弟子たちのところ
に連れて来たのですが、直すことができませんでした。」と言うのを聞いて言われました。
「ああ、不信仰な、曲がった今の世だ。いつまであなたがたといっしょにいなければならない
のでしょう。・・・」と嘆かれました。それは、信仰の薄い彼らと、いつまでも一緒にいる
わけには行かなかったからです。いずれ主は、天に帰られます。ですから、彼らの信仰が、堅い
信頼に立っていて欲しいと願われたのです。しかし、弟子たちの信仰は薄かったのです。その
言葉を聞くと、私たちは、ただうなだれるだけです。自分の信仰の度合いによるのか、と考えて
しまうからです。しかし、イエス様は言われました。「私が去っていくことはあなた方にとって
益なのです。助け主が来るからです。」と言って下さいました。即ち、イエス様は、彼らと
いつまでも一緒にいるわけには行きませんので、「代わりに、天に帰ったら助け主を送るから。」
と約束してくださったのです。この助け主は、イエス様と全く同じお方です。この助け主が傍に
いてくれるのだから、この方に頼めばいいのだよ、と。この方は、命を創られた創造主、全能の
知恵を持ったお方です。ですから、このお方がいつも私たちの傍にいたら、出来ないことはあり
ません。この創造主が傍にいてくださるという確信、それが私たちの心に余裕を与えてくれるの
です。私たちが助け主に信頼することに不安を持つのは、心に不信仰な考えを入れているから
です。私たちの命の創り主は何でも出来ます。ですから、この創造主への確信こそ、助け主に
抱く信頼の心です。これこそ、私たちの信仰の基礎なのです。
C 主が、「あなたがたは、この世にあっては患難がある。」と言われたように、私たちの目の
前には不都合なことがいっぱい出てきます。また、行く手には壁がいつも立ち塞がります。
だから、自分の力だけでは潰されてしまいます。だからこそ私たちには助け主が与えられたの
です。この方は私を助けて下さる全能主ですから「大丈夫だ、やって行こう。」と確信を持って
踏み出して行こうではありませんか! |