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2007年10月7日





    『創り主の御心にそった生き方』




 

マタイ22章34節〜40節





@ 今朝は、律法を与えられた創造主の目的とその御心について学び、そして、その御心に

そった生き方について考えたいと思います。

A さて、「律法の中で、大切な戒めはどれですか。」と問われたイエス様は、答えて言われま

した。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』

これが大切な第一の戒めです。また『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』という

第二の戒めも、それと同じように大切です。」それは、
律法全体と預言者とが、この二つの戒め

にかかっているからです。
と言われました。すなわち、律法は何のためにあるのかと言いますと、

それらは全て、創造主を愛していくためのものだということです。即ち、私たちの側の良い行い

も全て、「心、思い、知力を尽くして創造主を愛する。」という目的を実現していくためのもの

です。

B では、「創造主を愛していく」と言うことは、どういう事なのか考えてみましょう。

私たちは律法を読むことによって、創造主が何を望んでおられるのかを知ることが出来ます。

しかし、知恵や知識だけで理解しても、律法の表面的な行いだけを追い求めるだけで、本来、

創造主が求めておられる心を忘れてしまうのです。それが、パリサイ人であり律法学者でした。

ですから、律法を与えられた方の真の意味を理解するには、心を尽くして理解しようとする思い

が大事です。心で理解すると、律法の真の意味を理解し、主の御心にそった生き方ができるから

です。そもそも人間は、「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして創造主を愛していく」

という目的で造られました。ところが私たちはそれを無視して自分勝手な利益を求め、身勝手に

生きて来ました。これが罪人の生き方であり、創造主を愛していくことをして来なかった者の姿

です。しかし今、私たちは、「自分たちの益を求めていくのではなく、主に心を尽くして生き

たい。」と言う思いでいっぱいです。何故なら、
主は私たちの罪のために、命丸ごと捧げてくだ

さり、私たちの一生涯の罪を総まとめで解決してくださり、永遠の命をも下さったのですから。

ですから、律法の目的もただ創造主の御心の中に生きていく為のものであり、ただ一途に主を

愛していく信仰の道を貫いていくことにある
と知らされるのです。

C 私たちの教会には、さまざまな試練に見舞われましたが、その時々に、人間的な計算を捨て、

楽な方を選ぶという事をして来ませんでした。むしろその選択は、自分たちにとっては不利で

あり、困難な道でしたが、ただ、純粋な生き方をして、直接主に頼っていこうとする選択でした。

ですから私たちは、「主一本でいい」という事を学んできたのです。しかしながら、この証を

表していくためには、実績が必要です。誰もが、それでいいんだと確信してもらうためです。

そのために、
主に心を尽くし、助け主に本気で頼っていくのです。助け主がいてくださるのです

から、必ず証しが出来るはずです。ですから、一途に追い求めて行こうではありませんか。



    


                                        

  
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