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2007年5月27日




  『自らをささげる心とその歩み』



ローマ121,2



 

@ 今朝は、私たちが信仰の従順に至り、「私はあなた(創造主)のものですから、あなたの

お役に立ちたいのです。どうぞ使ってください。」と、自らをささげる心とその歩み
について学び

たいと思います。

A さて、パウロはこの手紙を、ローマのクリスチャンたちが信仰の従順に至るようにと願って

書きました。この12章は、その結論です。その書き出しが、「そういうわけですから」とあり

ますから、結論に至る説明を引き継いでいることが分かります。その内容は、9章から始まって

います。それは、同胞であるユダヤ人に対する彼の愛から始まり、ユダヤ人が本来受くべき祝福

や約束が、彼らの不従順のために異邦人に及んでいった事が語られています。しかし、そこには

創造主の切ない深い愛が明らかにされているのです。というのは、彼らは、創造主にとって選びの

器であったのに、自らの恵みを行いによるかのように追い求めたためにつまずいてしまったの

です。しかし、それで捨てられてしまった訳ではありませんでした。彼らが不従順のうちに閉じ

込められたのは、空しさを味わわされ、創造主の許に、もう一度戻ってくることを願ってのこと

だったからです。ここに、創造主の測り知れない愛の心を知るのです。なぜなら、野生種の

オリーブの枝が接がれるなら、栽培種の枝は、なおさら容易く接がれるのですと、主は言われる

からです。そこにある主の思いは、イスラエルの民を、本当にご自分のものにしたいという強い愛

の現れでした。「そういうわけですから、あなたがたのからだを、創造主に受け入れられる、

聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。」と、ここ

から本題に入って行くのです。

B では、「生きた供え物としてささげなさい。」と言われる主の御心の真意は、何でしょうか?

それは私たちが、創造主の愛と絶対的な主権の中に、全き信頼を寄せて帰ることなのです。

なぜなら、私たちが不従順の中に閉じ込められた真意が、その空しさを知って、主の愛に気づく

ことであり、そのことをひたすら待っていてくださった主の涙を知ることだからです。そのことが

分ったとき、「私はあなたのものです。」、「私はあなたのお役に立ちたいのです。使ってくだ

さい。」と言わずにはおられません。ところが、私たちは「苦しむのはイヤ、リスクを負うのは

イヤ、プレッシャーもイヤ、自分の思い通りにならないとイヤ・・・」と自分中心でした。

ですから、中々「私はあなたのものになります。」と言えなかったのです。
しかし私たちが不従順

の中に閉じ込められていたとき、いかに、創造主は、涙を流しておられたかを知るとき、自分中心

なワガママやいい加減さは、創造主に申し訳ないことだったと気づき、生きた供え物として献げ

ようとなるのです。


C
 もし私たちが創造主を好きになるなら、創造主のお役に立ちたいと願い、苦労も厭わなく

なるでしょう。そして、その愛の故に世と調子を合わせず、心の一新によって変えて行くで

しょう。それは、創造主の愛が分かるからです。ですからただ、「創造主のものとなって」歩ん

で行きましょう。





    


                                        

  
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