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2007年5月20日





 『歩みの力』



ロマ7章13〜25、8章1〜17




@ 今朝は、私たち自身の歩みの力について考え、学びたいと思います。

A さて、7章は、パウロの信仰の経験として語っているものですが、その結論として次のように告白して

います。「私は、本当に惨めな人間です。だれがこの死のからだから、私を救い出してくれるのでしょう

か。・・・私は、心では神の律法に仕え、肉では罪の律法に仕えているのです。」と。確かに、主イエス・

キリストの救いにあずかった人々は御霊の内住がありますから、心では神の律法は良いものであると

喜びますが、一方では、それを実行することの出来ない惨めな人間であることを思い知らされるのです。

こうして、自分の中に、どうにもならない罪の現実があることを見出すのです。その中でパウロは、その

解決がキリスト・イエスにある御霊の働きによって成されると悟りました。そこで8章において、そのことが

イエス・キリストによって与えられる立場であると語っています。


B では、8章から見てみましょう。パウロは断言しています。「こういうわけで、キリスト・イエスにある者が

罪に定められることは決してありません。」と。それは、キリストを受け入れた者はキリストと共に死んだ者

ですから、もはや律法によって罪に定められることはないというのです。何故なら、死んだ者は律法から

解放されているので、罪と死の原理からも解放されているからです。この「死んだ」というギリシャ語は、

アオリスト形で書かれていますが、これは現在の事実に関係なく、すでに死んだ者として過去のことを

表している時制です。すなわち、
私達の今の立場は、現実に生きていても、キリストにあって死んだ者

として扱われているので、律法によって攻められることがないと言うことです。
なぜなら、律法の効力は、

その人の生きている期間だけだからです。ですから、新たに私達が、キリストと共に甦った者として、

霊的な律法を全うして行くには、御霊の助けによって歩んで行けばいいということです。しかし私たちが、

この世で歩むとき、御霊とは反対の世の影響を知らないうちに受けてしまいます。ですから、週の半ばの

集会に出て、ひたすら御霊の中に歩んで行く努力を求めて行かなければなりません。さらに尚、他の方法

で霊的エネルギーを受ける方法があります。それは、自分のいのちを接点にして、創造主を知ることです。

この方法で、創造主と自分との関係が分ってくると、この方に任せて行けばいいという確信がやってき

ます。これはエネルギーです。アブラハムも、創造主には約束されたことを成就する力があることを堅く

信じました。それが彼のエネルギーとなっていました。
私たちも同じ信仰に堅く立ち、持続したいのです。

そして、見返りを求めないアガペーの愛を、人々に与える生き方をして行きたいのです。それは、ひたすら

御霊の思いの中に生きていく生き方です。そして、力強く、全世界に出て行きたいのです。


C 私たちは、自分はだめだと思わず、「御霊によってからだの行いを殺す」という戦いをし、勝利すること

が必要です。私たちには創造主がおり、御霊がおられるのです。この両輪に立っているのですから、主を

見上げ、主のお役に立つクリスチャンとして、残りの生涯を生きていきましょう。
 





    


                                        

  
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