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2007年3月11日



            『私たちは愛の最高傑作』



ヤコブ4章13節〜17節





    
@ 今朝は、私たちの命が、完璧な機能を持つ愛の最高傑作であることが分かれば、創り主に

対して、確信を以って従って行けるという信仰を学んでいきたい
と思います。


A さて、「今日か、明日、これこれの町に行き、そこに一年いて、商売をして、もうけよう。」

(ヤコブ4:13)という考え方は、起業家だけでなく、一般の人々の心の中にもある考えです。

と言うのは、自分の計画や考えで仕事を決め、自分の意志で、自分の人生を歩んでいけるものだと

考えているからです。ところが、聖書にはこのように書いてあります。「あなたがたには、明日の

ことは分からないのです。あなたがたの命は、しばらくの間現れて、消えてしまう霧に過ぎま

せん。」と。実は、自分の人生は自分の考え通りに生きていけると思っていても、実は自分が

知らないうちに誕生し、自分の意志に反して去っていく現実があるのです。まさに、朝露のように

起き、太陽とともに消えていく霧のようです。だからこそ、こう考えるべきなのです。

「主の御心ならば、私たちは生きていて、このことを、又は、あのことをしよう。」と。然し、人間は、

自分に頼って生きていこうとしているのです。

B では、「主の御心なら・・・」と生きていく生き方について考えてみましょう。先ず、私たちが

ハッキリと心に入れなければならないのは、私たちは創られた被造物であり、創られた方の主権の

下にある者だということです。ところが、この事がはっきり分かっていないクリスチャンが多いの

です。聖書に対して懐疑的な部分を持ち、疑問を抱きつつ、断定などできないという、不信仰な

立場に立っているのです。そのくせ、確信があると思い込み強がっています。その強がりが、懐疑論者

の入り口となり、自分に頼っていく生き方となっているのです。しかし私たちは、確信に立って不動

の者となり、完全になる事を目指しています。なぜなら、信じる者に働く全能者の力を証ししたい

からです。そして、主はそのために、「空っぽの器に油が満たされる。」から始まって、着々と私たちを

訓練し、導いてくださいました。それは、創造主を知り、創造主在っての自分であることを認める

ことから始まりました。私たちが創られた被造物であることは、私たちの精巧な体の仕組みを

見れば一目瞭然です。百分の一ミリの毛細血管が体中に張り巡らされ、完璧な機能をもって

創られているが故に、ほんの一点でも傷がつけば、死んでしまう繊細なものです。こうして生きて

いれるのは、創造主の計り知れない技術力があるからです。
決して自立して生きている者ではあり

ません。ですから、このお方に対して傲慢になれるでしょうか。ただただへりくだるのみです。

へりくだるとは、自分がそう思えないからと自己主張するのではなく、創造主の考えをへり下って

受けていくことです。自分の考えで、出来る出来ないではなく、「主が全てです。」と、なりふり

構わず従っていくことです。それが、主の御心の中に生きていくことなのです。



C 私たちの命が、創り主によってこんなに精巧に造って下さっていることが分ると、

創り主って、「すごいナー!」と嬉しくなります。すると、この方に全てを任せて行けばいいん

だと確信が持てます。この確信こそが、私たちの信仰です。



                                        

  
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