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2007年2月18日




 『正しく裁かれる方に任せて』



第Tペテロ2章18節〜25節




@ 今朝は、正しく裁かれる方にお任せになったイエス様の生き方を模範として生きていく

ことが、クリスチャンの生き方である
ことを学んでいきたいと思います。

A さて、私たちは、イエス様のどのような生き方を模範としていけばいいのでしょうか。

まず、主が、どのように歩まれたのかを見てみたいと思います。23節では、「ののしられても、

ののしり返さず、苦しめられても、脅すことをせず、正しく裁かれる方にお任せになりました。」

とあります。主は、ゲッセマネの園で祈られたとき、「父よ、御心ならば、この杯を私から取り

のけてください。」と祈られました。これは、私たちと同じように、肉を持たれた主の、人間的な

叫びです。何故なら、肉は、どんな肉でも御霊に逆らうものです。肉にいいものはありません。

ピリピ書では、「キリストは、人としての性質を持って現れ」とあります。ですから、肉の弱さの

中から出た主の言葉です。しかし、その後で直ぐこのように言われました。「しかし、私の願い

ではなく、御心の通りにしてください。」これが、私たちの模範なのです。自分の肉の思いに

よらないで、父の御心に従って行かれる、へりくだりこそが、私たちが模範とするところなの

です。なぜなら、主は、いつも御自身を「正しく裁かれる方にお任せになった。」からです。


B さて、ペテロは言います。「横暴な主人に対しても従いなさい。」、「善を行っていて苦しみを

受け、それを耐え忍ぶとしたら、それは、創造主に喜ばれることです。」と。なぜなら、主もその

ようにされたからです。どうしてですか?正しく裁かれる方にお任せになったからです。即ち、

イエス様はいつも、創造主に対して生きていました。ですから、その判断や行動は、いつも創造主の

御心に立って考えていましたから、周りの者に影響される必要はなかったのです。確かに、人を見て

いては横暴な主人に対して従うことは出来ません。自分の考えの判断に立って、僅かな自分の義を

主張し、自分を守ろうとします。しかし私たちは、人の前に生きている者ではなく、創造主の前に

生きている者です。何故なら、私たちのいのちは、創造主に創られた命だからです。それは、私たち

の体の仕組みを見ると分かります。というのは、私たちの体の仕組みが、驚くべき秩序と法則に

よって成り立っているからです。
この命は、計画して創られた方がいなければ出来ません。

私たちは自分のいのちを自分で創った所は、一つもありません。全部、創り主に造ってもらい

ました。だから、当然父の御心のままに生きて行くのが正しいのです。私たちは、いつも創り主

の前に歩んでいけばいいのです。
ですから、そのように歩まれたイエス様の生き方を模範にする

のです。即ち、
「正しく裁かれる方にお任せする」生き方です。

C 主は、ご自分の決断によって私たちの罪をその身に負われ、十字架にかかられました。

同じように、私たちも、創り主によって頂いたこの命をどのように使っていくのか、自分で決め

なければなりません。創造主の前で生きて行くことを選ぶなら、創り主の御心を第一にして生きて

いこうではありませんか。


    



                                        

  
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