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2007年2月11日




 『へりくだって受けていく』



ルカ23章32節〜43節



今朝は、イエス様が十字架にかけられたときに言われた御言葉について考えながら、主の

御心を学びたい
と思います。

A さて、イエス様は十字架上で、ご自分を十字架に釘付けしている者たちのために祈られま

した。
「父よ。彼らをお赦し下さい。彼らは、何をしているのか自分で分からないのです。」 事実

私たちは、自分では何をしているのか分からず、変な方向に向ってしまう者です。それは、アダム

とエバが悪魔にそそのかされ、創造主から離れてしまった時から始まりました。その時から人は、

創り主から離れ、独立し呪いの子となってしまったのです。そこでイエス様は、この呪いから、

私たち人間を解放するために来て下さいました。イエス様が私たちの、全ての呪いを代りに引き

受けてくださったからです。

B では、イエス様に対して私たちはどうあるべきでしょうか。二人の強盗を通して考えてみま

しょう。一人は言いました。「あなたはキリストではないか。自分と私たちを救え。」と。彼は、救って

もらうのは当たり前であるかのように要求しています。自分がやったことを棚に上げ、自分の

責任を受け止めず、人のせいにしています。ところが、もう一人の強盗は言いました。「おまえは

神を恐れないのか。われわれは、自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。だが

この方は、悪いことは何もしていない。」と。確かに彼も罪人です。しかし彼は、「イエス様に対して、

この方は違う。」と、キリストを見上げたのです。そして、続いて言いました。「イエス様。あなたの

御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」。それに対して主は言われました。

「あなたはきょう、わたしと共にパラダイスにいます。」と。この強盗は罪人ですから、イエス様の

所に何も良きものを持っていく事は出来ません。ただイエス様の哀れみを乞うだけです。そして

受け取るだけです。しかし、主はそれを喜んでくださいました。何故なら、イエス様は、私たちに

命を与えるために来てくださったからです。ところが私たちは、どうでしょう。
私たちは、自分の

義、誠実さ、真面目さ、一生懸命さを持って行くべきだと考えています。そして、それを主は喜んで

くださると思っています。しかしそれは、見当違いな考えです。私たちは、自分ではどうにもなら

ない者たちです。ですからイエス様は、こんな私たちに救いを与え、永遠の命を与えるために来てく

ださったのです。
強盗がパラダイスを受け取ったように、私たちも、ただへりくだって受けて行く

だけでいいのです。

C 私たちには、受けるよりも自分でやって褒めてもらおうという自我が働きます。この自我から

離れないと、「ありがとうございました。」と受け取ることが出来ません。ですから、心を明け渡す

べきです。そうすれば、主は「わたしが先立って行くから受けて行きなさい。」と言って下さいます。

私たちはただ、「有り難うございます。」と、なりふり構わず、受けていけばいいのです。主の御心は、

私たちがただへりくだって受けていくことを願っておられるのです。



    



                                        

  
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