@ 今朝は、“主に信頼する”ことについて学びたいと思います。
A さて、使徒行伝は、使徒たちが御霊に導かれて働きをして行ったことで、聖霊行伝とも
言われています。御霊に導かれて歩んで行くことは、‘信頼する’、‘委ねる’、‘お任せする’
という表現の中に表されています。ところが、お任せするという生き方は、他人任せの生き方で、
無責任で消極的なことのように思われがちです。それは、私たちの意識の中には、行動を取ら
なければ何も起こらないし、手ごたえもないから、そんな消極的な生き方はイヤだ、という思い
が心に働くからです。しかし、使徒行伝を読んでいくとき、委ねることは、積極的で、前向きで、
攻めの生き方だと分るのです。
B では、パウロの生き方から、委ねるとはどういうことか考えてみましょう。パウロは、
「エルサレムに戻ってからローマに行く」、というビジョンを持ちました。しかし合理的に
考えるなら、わざわざエルサレムに戻らなくても、そのままローマに行った方がいいように思え
ます。みんなの気持ちも高揚するし、熱が入って行ったことでしょう。しかもパウロは、ユダヤ
人に憎まれ、命を狙われている者ですからなおさらです。エルサレムにいる使徒たちへの伝道
報告も、代わりの者でも良かったでしょう。さらにパウロのエルサレム行きについては、聖霊
ご自身が、「ユダヤ人に縛られ、異邦人の手に渡される。」、と示されていましたから、クリス
チャンたちはパウロを引き止め、エルサレムには上らないようにと頼んだのです。ところが彼は
言いました。「あなたがたは、泣いたり、私の心をくじいたりして、いったい何をしているの
ですか。私は、主イエスの御名のためなら、エルサレムで縛られることばかりでなく、死ぬこと
さえも覚悟しています。」と。パウロにとって、エルサレム行きは御霊の示しでしたので、主に
委ねていたのです。ですから、パウロにとって委ねるということは、どんなリスクが起こって
こようとも出かけていくことだったのです。私たちは、御霊に導かれて行くということ、また、
お任せするということは、「何もしないで見ていればいい」という他人任せのように考えがち
ですが、実際には委ねて歩むということは、勇気のいる事であり、エネルギーの要ることです。
主に信頼し、委ね、お任せするということは、たといリスクがあっても自分の考えに頼らず、
主に従っていく強い意志、又信仰がいるからです。この生き方は、実に男性的な攻めの積極的な
生き方なのです。
C カイザリヤの人々は、パウロの決意が固いのを知って、「主の御心のままに。」と言いま
した。これは、「勝手にして。」と、突き放した言葉ではなく、自分たちも同じリスクを負う
覚悟をもって、パウロに同行しました。ですから、御霊に導かれて歩むことは、たとえリスクを
負うことがあっても、そのリスクから逃げないという積極的な意志で主に委ねていくことです。
これが、主に委ねるというクリスチャンの生き方です。私たちもパウロの心にならって御霊の
導きに攻めの心をもって従っていきましょう。 |