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2007年12月2日







                                    ゆだ
                           
 『御手に委ねる生き方』




 

使徒27章9節〜26節 






@ 今朝は、「主の御手に任せて歩んで行く」ことについて、学びたいと思います。

A さて、パウロは、ローマに向けて船で護送されることとなり、クレテ島の良い港と呼ばれる

所に着いた時に、航海は危険な季節になっていました。そこで彼は人々に注意を喚起し

「皆さん。この航海では、きっと、積荷や船体だけではなく、私たちの生命にも、危害と大きな

損失が及ぶと、私は考えます。」と進言しました。 しかし、航海士や船長は、パウロの進言を

無視し、自分たちの判断に立ち出帆したのです。ところが、まさにパウロの進言した通り暴風に

さらされて、危険な目に遭ってしまったのです。しかし、これもまた主の御心でありました。

B では、自分たちも、たとえリスクが及ぶはめになっても、主の御心を信じて歩んで行くとは

どういうことなのか、パウロの経験を見ながら考えてみましょう。パウロは航海の危険を直感し、

進言しました。しかし、航海士や船長は反対したので、パウロは命の危険にさらされるのを覚悟

の上で、同船しなければなりませんでした。案の定、積荷や船具までも失い、助かる最後の望み

も絶たれようとしたのです。そこで、パウロは彼らの中に立って言いました。「『皆さん。

あなた方は私の忠告を聞き入れて、クレテを出帆しなかったら、こんな危害や損失をこうむら

なくて済んだのです。』しかし、私の神が『恐れてはいけません。パウロ。あなたは必ずカイ

ザルの前に立ちます。そして、神はあなたと同船している人々をみな、あなたにお与えになり

ます。』と言われたので、命を失うものは一人もいません。」と。確かにパウロの目からは、

「自分の忠告を聞かなかったから・・・」という思いになるでしょう。しかし、彼が危険を

感じたのは直感でした。それは主が、避けられない出来事としてパウロに示されたものですから、

百人隊長も忠告を聞き入れようとしなかったのです。それでもなお、パウロは、必ずローマで

カイザルの前に立つと信じて、リスクを負うことを覚悟のうえで、主のなされるに任せたのです。

主は彼をマルタ島に流されました。そこでは考えもしない手厚いもてなしを受け、3ヶ月後には

ローマに向けて出帆できたのです。
主の御手に委ねる生き方は、人間の計算に頼らず、たとい

リスクがあっても、主に従って行く生き方です。これがパウロの生き方であり、クリスチャンの

生き方なのです。


C 私たちも、「空っぽの器に油が満たされる。」という道を求め始めたとき、「この道を

求めることは、大変なリスクを負う旅になるぞ。」と直感しました。しかし、
逃げるわけには

行きません。何が起こってくるか分からないけれど、逃げずに「行くところまで、行くしか

ない」
、と思わされました。本当にその通り危険な目に遭いました。そして私たちは今、マルタ

島に着いたのです。これからカイザルの前に立つのです。それは、ノアの箱舟創造博物館を

造り、十万名教会を目指す道なのです。この道に向かって、勇気を出して、主に委ねて前進して

行きましょう。これが、クリスチャンの生き方なのですから。



 



    


                                        

  
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