「あなたがたは、わたしを信ぜず、わたしをイスラエルの人々の前に聖なる者としなかった。
それゆえ、あなた方は、この集会を、わたしが彼らに与えた地に導き入れることはできない。」
(民20:12)
モーセとアロンは、メリバの水の件で、軽率なことを口にした(詩106:33)ため、カナンの地に
入ることができなくなりました。実に、悲しく、切ないことです。この記事を読む度に、人ごとの
ように思えないつらさを感じます。しかし、ここには大切なメッセージが含まれており、旧約聖書に
記されていることは、私たちの教訓とすべきです。(Tコリント10:11) それは、主のメッ
セージを、人間の肉の感情を入れて語ってはいけないということです。モーセは「逆らう者たちよ、
さあ聞け。この岩から私たちが、あなた方のために水を出さなければならないのか」と感情任せに、
叱りつけ、自分の怒りを、主のメッセージの中に入れてしまったのです。ですから「わたしを聖なる
ものとしなかった。」と言われたのです。
私たちは、人の心に主のメッセージを語りかける時、自分の肉の感情に任せて、叱ってはいけま
せん。たとえ叱りとばすことがあっても、それは霊で、霊に向って語っていくのです。
それが愛です。罪に対して、叱ることは必要です。しかし、肉のはけ口として語ってはいけません。
それをしたら、神の聖い働きを、肉の感情で汚すことになるからです。ですから、霊を愛するが故に
叱るとき、相手の霊に向って叱るのです。決して相手の肉に向って感情をぶつけてはいけないので
す。それは愛の動機を失うからです。
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