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          2005年9月4日


       
「私は主のはしためです」

マタイ1章18〜25節






@ 今朝は、受胎告知に対するマリヤとヨセフの応答を見ながら、二人の違いを考えつつ、神に信頼

する信仰について学びたい
と思います。


A さて、イエス様は、処女マリヤを通してお生まれになりました。マリヤの婚約者であったヨセフ

は、結婚前に身重になったことを聞き、どうしたものかと迷い、思い巡らせていました。その時主の

使いが夢に現れて、「マリヤの胎に宿っているものは聖霊によるものであるから、恐れないでマリヤ

を迎えなさい。」と語られました。そこでヨセフは、その通りにしたのです。ところが、ヨセフに

ついては、その後イエス様が12歳の時に、エルサレムに上った時以外登場してきません。 伝説に

よると、早死にしたと言われています。しかしマリヤは、イエス様の復活の時点まで共にいまし

た。
この二人の違いはどこにあったのでしょうか。それは、受胎告知のときにはっきり現れている

ように思います。



B では、先ずマリヤについて見てみましょう。

  その情景は、ルカ伝1章26〜38節に詳細に記されています。それによれば、突然、御使いガブ

リエルが、処女であるマリヤに、「あなたは、神の子を産む。」と告げにやって来ました。 処女が

子を産むということは常識では考えられないことであり、絶対に信じれないことです。 その上、

イスラエルでは、未婚の女が身ごもったならば、石打の刑にされたのです。ですから、マリヤに

とっては、あってはならないことでした。しかし彼女は、そのことは、神の御心だと分かったとき、

御使いの言葉をそのまま受け入れたのです。そして、言いました。「私は主のはしためです。

どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」ここで心に留めたいのは、「私は

主のはしためです。」と言ったマリヤの言葉です。彼女は、自分が「主のはしため」であることを

認めてキッパリと自己否定し、心を切り替えました。ですから、「おことばどおりこの身になりま

すように。」と、神の御心を無条件で受け入れ、神に信頼し、任せていく信仰に立ったのです。


この信仰の心こそ、今私たちの目指すところです。一方ヨセフはどうだったのでしょう。確かに

彼は、夢で御使いが言われたことをそのまま実行しました。しかし、マリヤのように自己否定を

して、心を切り替えることをしていなかったように思われます。ただ、御使いの言葉を受け留めて

いこうと、自分に言い聞かせていたのです。ですから時間が経つと、疑いと不安が交錯し、素直に

なれなくなるのです。これは、自己否定が無かったからです。心の切り替えがないと、いつま

でも尾を引いて過去を振り返り、新しい歩みが出てこないのです。マリアとヨセフの違いは、ここに

あるように思えます。

                      
とりこ
C 私たちも、自己否定が無いと、いつも警戒心の虜になります。私たちは、マリヤさんのよう

に好意的に神に従う心が必要なのです。
「自分の力で何とか・・・」と考えているうちは、神に

従うことが出来ません。しかし、「自分で考えてもダメだ」と悟った時、「神に任せて言われる

通りやって行こう、これしかない。」と心のうちに秘められた確かな決断となっていくのです。

その通りにして行く時、神の御業がなされてくるのです。どんなことでも「主に信頼し任せていけ

ばいい」という確信に立って従って行きましょう。 


                                    



     
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