「イエス様の真意を理解するには」
ヨハネ18章28〜40節
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@今朝は、「わたしの国はこの世のものではありません。・・・」と言われたイエス様の真意を
学び、そのイエス様の心と私たちの心が一つとなるためにはどうしたら良いのかを考えていき
たいと思います。
A さて、ユダヤ人たちは、イエス様を捕え尋問した後で、ローマの総督であるピラトの下に連れて
ぞっこく
行きました。ピラトに死刑にしてもらうためです。ローマの属国であったユダヤ人には裁判権は
無く、自分たちで死刑にすることは許されていませんでした。ところが、ピラトは、イエスを死刑
にするような理由が無いと思っていました。それでも立場上、やむなく尋問するという状況に立た
されたのです。そこで、ユダヤ人の気が済むような、ムチ打ちの後で、釈放したいと考えていまし
た。ところが、ピラトの思惑は直ぐに覆され、キリストを死刑に定め無ければならない状況になって
しまったのです。こうした状況の中で、イエス様は、ピラトやユダヤ人には理解されることなく、
しかも、一切弁解されることも無く、冷静に、父から遣わされたことの真実をありのまま語られた
だけでした。そして、「わたしの国はこの世のものではありません。」と語ったイエス様のことば
が、彼らの理解とかみあわず、キリストは処刑されたのです。
B では、クリスチャンである私たちが、どうしたらいつもイエス様を正しく理解し、イエス様の
心に立って信頼し、従っていける者になるのでしょうか。
そのベストな解答は、イエス様の心を学ぶところにあります。イエス様は、彼らに分かって
もらうどころか、益々かみ合わなくなり、不利になると分かっていながら、ただ父なる神の御心に
従うことに徹しました。それは、自分の考えや都合に立たず、父なる神の御心を自分の心とされた
からです。ところが、弟子であるペテロは、イエス様の真意を理解できず、自分の考えに立ったた
めに、イエス様のことを「知らない。」と三度も言ってしまいました。しかも彼は、イエス様が捕縛さ
れる時に、剣を抜いて切りかかり、大祭司のしもべの右耳を切り落としてしまいました。そのとき
さや
イエス様は、「剣を鞘に収めなさい。」と言われたのです。ペテロは「どうして?」と思ったで
しょう。園に行く前は、剣を持つようにと言われたのに、いざ剣で守ろうとすると、「使うな」と
言われる。 彼は混乱し分からなくなってしまったのでしょう。そして、その心を引きずっていた
ために、イエス様を知らないと言ってしまったのです。イエス様はペテロに、「自分の国はこの世の
ものではないから、世の王のように剣で戦う必要はないのだ。」と教えたかったのです。
もし
ペテロが、このイエス様の真意が分からなくても、イエス様に全幅の信頼をよせて、そのまま受け
留めていたなら、その後で「知らない。」ということも無かったでしょう。この事からも分かるよう
に、私たちが、自分の考えやこだわりを働かせたら、神の御心が分からなくなるのです。 しかし、
もし自分のこだわりを捨てていくなら、直ぐにイエス様の言われる方に、心を変えて行けるので
す。こうしてイエス様の真意を理解し、心が一つとなるのです。
C 私たちは、情欲や欲望を十字架につけてしまったのですから、「もはや我生くるにあらず」で
す。イエス様を信頼するが故に、自分の意志でこだわりを捨てると決め、御心をそのまま受け取って
行くなら、そこにキリストと一つになる道があるのです。
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