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          2005年9月25日

                                     
「リスクを負う覚悟を決める」

マタイ13章1〜23節




@  今朝は、「種蒔きのたとえ」を学びながら、私たちが実を結ぶ者となるには、どのような心

で、みことばを聞いていったらいいのか
を、学んでいきたいと思います。

A さて、この種蒔きのたとえについて、従来は、良い地に蒔かれた種がクリスチャンで、

他は、教会に結びつかなかった未信者たちだ、と理解されることが多々ありました。 

 しかし、「御言を聞く」という点では、クリスチャンに語られているメッセージとして学ぶこと

ができます。そして、現在の自分の状態はどれに当てはまるのか、果たして実を結んでいる者か

どうか、と、正直に汲み取っていく必要があります。私たちが御言を聞いて悟り、豊かな実を

結んでいくためです。



B では、現在の私たちの状態と照らし合わせつつ、種まきのたとえを順に考えてみましょう。

まず、道端にまかれた種とは、御言を受け入れなかった人たちのことなので、クリスチャンは

飛ばします。次の「岩地」に蒔かれた種について考えます。この人は御言を聞くとすぐ喜んで

受け入れる人ですが、困難や問題が起こると、信仰に立って戦おうとしないので、実を結びませ

ん。また、「いばらの中」に蒔かれた種とは、世の心遣いと富の惑わしで御言をふさいでしまい、

実を結ぶ事が出来ないのです。このようにこの両者の共通する点は、この世のさまざまな不安や

恐れが来ると、それをグチャグチャと考え、わざわざ不安の中に閉じこもることです。しかし、

その結末は、自分では荷が負えなくなり、その不安から逃れようと、責任を放棄し、裏切りや

卑怯な行動をとってしまうのです。確かに私たちは、この世では、次々と新しい問題に遭遇し、

不安から逃れることは出来ません。では、そんな中で実を結ぶにはどうしたらよいのでしょうか。

それは、
逃げようとせず、リスクを負う覚悟を、思い切って持てばいいのです。そして、一切を

イエス様に任せて、十字架を負う覚悟を決めればいいのです。それは、「もう自分はどうなって

もいい。」という覚悟です。そうすれば、あえて不安の方に目を向ける必要はなく、イエス様に

預けて、平安になります。このことは、「自分を捨て、自分の十字架を負って従う。」事です。

ここに信仰が働くのです。「自分はどうなってもいい。だから、どんなリスクも受けていこう。」

と覚悟を決める心こそ、自分を捨てて従う心であり、空っぽの器なのです。
この覚悟を決めた

ら、何でも、「イエス様にそのまま聞いていくぞ」、となりますから、御言を聞いて悟り、実を

結ぶ者となっていくのです。


C 私たちが実を結ぶためには、まずへり下って御言をそのまま聞いていこうと、決心するとこ

ろから始まります。その為には、自分の考えや先入観、こだわりを横に置いて聞くのです。

そうすれば御言を悟り、実を結んでいくようになります。そして、聞く度合いによって、30倍

から60倍、100倍へと成長する者になるのです。ですから、このことを悟って、実を結ぶ世界に

入って行きましよう。


                                    



     
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