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          2005年6月26日



「霊で生きていく献身」

Tヨハネ2章4節




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今朝は、ヨハネ第一の手紙の意図を考えながら、4節で言われている“偽り者”とはどのような

クリスチャンのことを言っているのかを考えてみたいと思います。そして、私たちの歩みは、
「霊で

生きていく献身」
であることを学んでいきたい。

A さて、ヨハネの手紙の目的は、「あなたがたが、罪を犯さないようになるためです。」とあり

ます。もし、「やみの中」、即ち罪の中を歩んでいるならば神との交わりはなく、その者は、偽り物で

あり、神との交わりはありません。しかし、私たちが光の中を歩んでいるなら、互いに交わりを

持つことが出来ます。そして、御子イエスの血が、全ての罪から私たちをきよめて下さり、神と

私たちとの間にクリアな関係が生まれてくるのです。こうして初めて、豊かな交わりを持つものと

されます。ところが、心が責められているにもかかわらず、罪はないと言うなら、その人は偽り者

となり、クリアな心で生きていくことは出来ません。ですから、ヨハネは、いつもクリアな心で生き

ていくために、偽り者とならないようにと言っているのです。



B では、「偽り者」とはどのような人のことでしょうか。

「偽り者とは、イエスがキリストであることを否定するもの」とあります。それは、神を信じている

と言いながら、命令を守らず、その歩みにおいて実の無い者の事です。その者は、反キリストです。

彼らは、聞くには聞くが、その行いにおいて、キリストを否定しているのです。ですから、

信じる者の歩みは、「キリストが歩まれたように歩む」ことです。キリストは、神の御心を行うため

だけに生きられました。同じように私たちも、キリストの御心を行い、キリストに喜んで頂ければ

それでいい、という献身の心で生きていくことです。
自分のメンツやプライドを大事にし、自分の

肉を守る生き方ではありません。もはや私は、キリストと共に死んだのです。ところが、多くの

日本人クリスチャンは、情や感情を大切にし、物事をはっきりとさせず曖昧にします。それは、

美徳のように考えていますが、実は、自分のために生き、自分の都合の悪いときは、いつでも

逃げれるように、肉の性質を愛しているに過ぎないのです。ですから、聞くには聞いても心に留め

ないのです。こうして未信者と同じ生き方をしていくのです。それを続けていくなら、キリストを

否定することにつながってくることに気づいていません。このように、私たちの心を肉の思いが

占めていては、神を愛しているとは言えません。
本当の愛とは、「キリストが歩まれたように歩む」

ということでしょう。私たちは今、「行いと真実をもって愛そうではないか。」と言われています。

自分を見て、「出来ない。」という方向に心を向けるのではなく、「それが神のお考えだからそうして

行こう。」と心を変えていくのです。それがへりくだった者の心です。この献身の心の立場をとら

なければ、御父との交わりを持てないのです。


C 神はいつも私たちに、献身を求めておられます。神はこれまで私たちを本気で導き取り扱って

くださいました。私たちは、キリストにのみ価値があると思い信じたのです。ですから、それを

貫きましょう。
「自分の肉はどうでもいいんだ。なりふり構わず、ただ霊が溢れて来るようにされ

たいんだ。」という思いで一生懸命、霊で歩み出していきましょう。
クリスチャンには、献身しか

ないのですから。 
  

                                    



     
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