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2005年5月22日



「霊の思いを膨らませて」

ローマ1〜8章


@ 今朝は、ロマ書1章から8章までをひもといてみたいと思います。そして、御霊が私たちの霊に

触れてくださり、生きる霊となったものを、御霊によってドンドン膨らまされていくことが、

クリスチャンの生き方であること
を、学んで行きたいと思います。



A さて、信仰とは、頭だけの世界ではなく、実(じつ)が伴ったものです。すなわち、心から出て

くる信仰の行動があって初めて信者と言えるからです。言い換えるなら、御霊と私たちの霊が住ん

でいる、心の奥底の本心に従って生きているか、どうかということです。「神の御霊に導かれて

いる者は神の子であり、また、キリストと苦難を共にしているなら、 キリストとの共同相続人で

す。」しかし、苦難を共にしていないなら、神に従っていないことになり、本心を偽った行動を

取っており、信者とはいえないのです。ですから、
実のある生き方とは、御霊に従って歩むことで

あり、それがクリスチャンの本分なのです。
その本心を貫いて生きて行くことを勧めているのが、

ローマ書です。


B では、ロマ書全体から見てみましょう。パウロは、「私は福音を恥とは思いません。

福音は信じる全ての人にとって、救いを得させる神の力です。」と宣言しています。この言葉から

分かることは、福音とは神の力であり、実が伴うものです。また、福音には神の義が啓示されて
             はば
います。しかし同時に、真理を阻んでいる人々に対しては神の怒りが啓示されています。

すなわち、神はいないという異邦人にはさばきしかありません。ところが、そのように異邦人を

裁くユダヤ人も、同じだと言われています。ただ神を知っているということで救われるのではな

く、神を知っている者としての歩みがなければならないからです。神が見られるのは外見ではな

く、いつも実だからです。ですから、律法を与えられているとか、割礼を受けているとか、そういう

ユダヤ人の誇りは取り除かれました。ただ、人が義と認められるのは、律法の行いによるのでは

なく、信仰によるからです。それゆえに、私たちは神との平和を持ち、大いなる喜びがあるのです。

私たちは罪によって死んでいた者ですが、新しくリセットされたのです。だから、もはや罪に定め

られることはありません。これからは、もっぱら、御霊に仕えていく事を考えていけばいいので

す。これがわたしたちの霊の本心になったからです。


C 私たちは、神に対しては、キリストによって義とされました。しかし、世に対しては、肉を

持っており、罪人です。しかし、肉に従って歩む責任を、負っていません。なぜなら、神に対し

て生きているからです。この真理の故に、パウロさんは勧めるのです。すなわち、「肉の声は

私たちの本心ではないのだから無視し、御霊によって生かされた霊に従がって、生きていけば

いいのですよ。」と。即ち、御霊は、心の奥底の私たちの霊に居られ、私たちは、傍らに居られる

御霊の声を聞いて、霊の思いをドンドン膨らませていけばいいのです。そして、肉の思いをドン

ドン心から追いやっていけばいいのです。それがクリスチャンの行き方です。


このことが、ローマ書の1章から8章までのメッセージであり、その具体的な歩みが12章からの

勧めになっているのです。 
  

                               
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