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2005年5月15日



「心の奥底にある本心で生きる」

ヨハネ7章37〜39節


@今朝は、ペンテコステ記念礼拝です。そこで、「心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようにな

る。」ためには、心の奥底にある本心で生きていく生き方をし、その心の扉をいつも開いていけば

いい事
を、学んでいきたいと思います。



A さて、私は、イエス様を信じた時に、飢え渇いた私の心が、イエス様の愛によってあふれる

ばかりに潤い、魂が満たされたという経験を致しました。それは、聖霊様が私の心の奥底に触れて

くださり、霊の感動を味わって嬉しくなったからです。ですから、「この心を一生涯持っていた

い。」、「これがあれば何もいらない。」と思いました。そして、使徒たちのように、常時満たさ

れた生き方をしていきたいと思いました。しかし現実には、すぐに生ける水に乾いてしまいまし

た。それは、聖霊様がいなくなったという事ではなく、御霊の働きを自由に味わうことができな

かったからです。そんな中で、何とか自分の力を奮い立たせて行なおうとしましたが、いつも

力不足を感じてきました。それは、私の力は、自分の中からではなく、心の奥底におられる御霊

の助けと働きにあることを知るためでした。

 この心の奥底に住んでくださる御霊こそ、私たちクリスチャンの力です。又この御霊の住まわ

れるところに私たちの霊の本心があるのです。ですから、本心を偽った行動をとれば、力を失う

ことになります。クリスチャンは、いつもイエス様を信頼(信仰)していくことが大切です。

だから、神の前にも、人の前にも本心を貫いて生きていくことが、クリスチャンの大切なポイント

です。



B では、「本心に立って生きる」とはどういうことでしょうか。

 世間一般では、本心をさらけ出して生きていくことは、難しいことです。なぜなら、みんな自分

を守ろうとし、本心を隠して自分に都合の悪いことからは避けていくからです。そればかりでな

く、自分の本心をグルグル変え、本心にあるまじき事をやって、そのうち自分の本心さえ見失って

しまうのです。しかし私たちは、たとい損をしても、また負けることになっても、自分の本心を変え

ず、本心に立った生き方をし、本心を全うしたいと思っています。何故なら、聖霊様は私たちの心の

奥底の本心(霊)に触れてくださり、私たちはその本心で信じる心を持ちました。だから、神様は

その心を見て受け入れてくださったのです。即ち、この本心だけが神様に通用したのです。


だから、クリスチャンは、自分を偽って義人ぶらず、格好をつけず、赤裸々な心を表していけばいい

のです。にもかかわらず、もし自分の都合や、肉の満足のために自分の本心を偽って、主から離れる

なら、私たちの人生は終わってしまいます。それは、神様から信頼されなくなるだけでなく、本心

のない人間となり、ウソの自分に麻痺し、ただ悪魔にだまされて生きていくことになってしまう

からです。聖霊様は私たちの本心のある所に住んでおられ、ここから御霊は溢れ出てくるのです。

 しかし、もし本心を偽っていくなら、心の奥底から、生ける水の川が流れ出てくることはありま

せん。本心に立った生き方とは、私たちがたとい99%正しくても、1%の間違いがあったら、

素直に謝ることです。私たちは常に失敗し、罪を犯すものです。しかし、神はその砕かれた悔いた

心を持っていれば、その罪を赦し、私たちをきよめて下さるのです。本心以外でのクリスチャン

人生はありません。

C 私たちは、神のみ前にはキリストの故に義人ですが、この世では罪人の大親分です。

ですから、本心を偽った行動をとってはいけないのです。私たちは、この世に生きてはいても、

神様に対して生きているものですから。本心で生きていきましょう。 


  

                               
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