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2005年4月10日


「聖なる都とは誰?」

ヨハネの黙示録21章1〜10節



@今朝は、小羊の妻である聖なる都エルサレムとは誰を指しているのか、 またそこに入れる

者たちとはどのような人々なのかを考えながら、私たちは、どのような信仰であるべきかを

考えていきたい
と思います。


A さて、黙示録の通読も終わりましたが、私たちにとってこの最後の章は気になるところ

です。それは、直接私たちの祝福につながる所だからです。しかし、分からない部分も多いのは

事実です。というのも、これまでは、「いのちの書に名のしるされていない者」はみな、火の池

に投げ込まれたので、新天新地には、「いのちの書に名の記されたクリスチャンしかいない」

と思っていました。ところが、そうではなく、新天新地の中に都があり、都の外にいる人々がいる。

その人々は、どういう人たちか? というのが疑問なところです。そして、新天新地には次の

三通りの人々がいるように思われるということです。

(@)都の中で幕屋を張っている者 22v3

(A)都の中に出入できる者 21v24 

(B)都の中に入れない者 21v27です。

B では、(@)の場合に当てはまる人々とはどのような者たちでしょうか。

 それは、7章に記されている人々、即ち、「大きな患難から抜け出て来た者たちで、神の御座の

前にいて、聖所で昼も夜も神に仕えている者たち」ではないでしょうか。 彼らは、「イエスの

あかしと神のことばとのゆえに首をはねられた人たち」であり、殉教者たちです。彼らは、命を

かけて、キリストを証しした人々です。ただ教会に属し、ノホホンと過ごして天に逝った人々

ではありません。神は、信仰に応じて報いをされる真実なお方だからです。 ですから神は、

「自分たちが立てた証しのために殺された人々」のために、幕屋を張られ、彼らと共におられ、

共に住まわれます。彼らは、もはや飢えることもなく、渇くこともなく、太陽もどんな炎熱も彼ら

を打つことはないのです。神ご自身が、彼らの目の涙をすっかり拭い取ってくださるのです。

このすばらしい祝福に預かったクリスチャンの姿を見ると、私たちもキリストの花嫁となり、

聖なる都エルサレムに住む者とされたいと思います。そのためには、キリストにあって生涯生き

抜くことです。自分の考えに頼って、自分のために生きていては、自己矛盾に陥ります。

キリストと共に死んだものは、自分のために生きないのです。ひたすら、キリストのために

命をかけて歩んでいくのです。



C 今世界で起こっている出来事を、聖書のみことばに照らし合わせて見ていくとき、最後の

部分に来ているように思われます。これから後、自分たちが立てた証しと、神のことばとの故に

首をはねられる、という時代に入っていくでしょう。  神は私たちを、そのような時代に生か

され、証しを立てさせようとしておられるのです。そのとき私たちに必要なものは、どこまでも

神に信頼する信仰の心です。二心ではない、開かれた真実な心で、献げきった信仰を表していく

ことです。そして、キリストの花嫁として、聖なる都エルサレムに幕屋を張る者とされたいと

思います。 


                               
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