「患難時代を乗り越えるためには」
ヨハネ黙示録16章1〜17節
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@ 今朝は、患難時代という苦難の中で、私たちが堅く信仰に立っていくためには、 どのような
信仰の心で生きていけばいいかを学びたいと思います。
A さて、黙示録もいよいよ終盤に入ってきました。8章で第7の封印が解かれ、裁きが始まって
くるからです。特に、第7のラッパが吹かれるといよいよ終わりに入り、獣の出現によって、患難
時代後半の3年半に突入していきます。この獣は、聖徒たちに戦いを挑んで打ち勝つことが
許されます。さらに、獣の刻印を押さない者は売ることも買うことも出来なくなります。
また、獣の像を拝まない者は皆殺されますから、この時代に生きているクリスチャンたちは、
死を覚悟しなければなりません。ですから、「ここに聖徒の忍耐と信仰がある。」と言われている
のです。しかも、終わりの時には背教があると言われているように、これらの苦難と困難の連続の
中でクリスチャンは「銀を練るように練られ、金をためすようにためされる。」
(ゼカリヤ13章8、9節)のです。
B では、この苦難の時代を乗り越えていくために、私たちは、どのような信仰の心を持って
備えていけばいいのでしょうか。まず、「死んでもいい。」という本気の心でいなければ患難時代
は通れないことが分かります。ではその本気の心とはどこから生まれてくるのでしょうか。
それはまず、“古い自分はキリストと共に死んでリセットされ、新しくされた者だ”という事実
をはっきりと受け入れることです。この事実は、私たちが天上の体を持っているということ
です。ですから、「主よ、御心のままに。」と神に委ねきった生き方が出来るのです。その生き方
こそクリスチャンの生き方なのです。この生き方を妨げているのは、古い自分です。古い自分は、
「自分が新しくされたことを忘れ、古い自分の考え方、自分の経験・知識で生きていこうと
すること」です。もしそのような生き方をしていくなら、患難が来た時、「どうしてこんな事に
なるんだ。神は守ってくれないのか。」と、自分の頭で対処できずにパニックになってしまうで
しょう。そして、助かりたいと思った瞬間に刻印を受けて背教し、滅びる者となってしまうの
です。信仰は、自分に都合よく物事が運んでいくようなキレイ事ではありません。キリストに
頼って生きていくことは、キリストと苦しみをも共にすることです。その道は、苦難と苦しみの
連続であり、泥臭いものです。だからこそ、忍耐がいるのです。このことをはっきりと理解し、
今この時に、生きた信仰を持ってキリストの中に生きていなければ、苦難の時、簡単に神に不信
を持って背教してしまうのです。
C 『キリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。』とあるように、
クリスチャンは、新創造の命にリセットされたものです。これまでは、自分に頼って生きている
古い自分と、キリストに頼って行く新しい自分とを使い分けていました。この生ぬるい信仰を、
正していく必要があります。キリストに頼っていく霊の心、本気の心で生きていくのです。
今こそ古い自分の生き方に頼る不信仰を捨て、イエス様に頼っていきましょう。
ますますキリストのため努力し、そこに現わされるキリストの御力を味わっていきましょう。
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