@ 神が私たちに願っておられることは、私たちが“完全な者”になることです。
そこで今朝は、そのために必要な“向上心”について学びたいと思います。
A さて、パウロはコリントの教会に対して言いました。「自分は弱くてもあなたがたが強けれ
ば、喜ぶのです。私たちはあなたがたが完全な者になることを祈っています。」と。ここに彼の、
コリントのクリスチャンたちへの願いが集約されています。完全な者になるということは、
コリントの人々に、その素質があったからではありません。むしろ彼らには多くの問題があり
ました。その上、世にあっては取るに足りない者、また見下されている者たちでした。にもかかわ
らず、「しっかりやれ。」と言うに止まらず、「完全な者になることを願っている。」と言ったので
す。完全とは、妥協せずにトップを狙えと言うことではないでしょうか。それは、あくなき向上心を
もって努力し前進せよという事です。それは、今、私たちにも言われていることなのです。
B では、完全な者になることを目指していくには、どうしたらいいのか考えてみましょう。
私たちは自分の弱さや出来の悪さ、過去のさまざまな失敗をイヤというほど知っています。
コリントの人々も、知者や、権力者、金持ちは多くはなく、見下された無に等しい者たちが大勢を
占めていました。神はあえて無に等しい者を選ばれたのです。弱さの中に神の栄光が現わされる
ためであり、人を誇らせないためでした。しかし、パウロ自身は、人間的にも優れた能力を持って
いましたが、神はあえてハンディを与え、その能力を狭められました。眼病という肉体のトゲに
よって、自らの手で自由に書くことが出来なかったのです。神はあえて、弱さを持っている者を
使われる方なのです。しかし神は、弱い者だから「ほどほどでいいよ」とは言われません。
どこまでも“完全な者になれ”と言われるのです。何故でしょうか。私たちクリスチャンは、
イエス・キリストの贖いによって、過去の自分の一切をリセットされ、新しくされた者です。
即ちキリストの中にあって、新しい可能性の中に生かされた者なのです。ですから「完全な者に
なりなさい。」と言われているのです。過去の出来の悪い自分はリセットされたので、前向きに
努力していく時、それまで出来なかったことが出来るようになってきます。そこで私たちは、
神が下さった新しい能力を発見するようになるのです。こうして私たちは、リセットされた、
新しい可能性の中に生かされている自分を見ていくのです。この経験を積んでいくとき、私たち
の信仰は成長していくのです。
C 私たちクリスチャンは、常に、信仰の決断を求められています。それは、石橋をたたいて先に
進むという、自分の可能性を見た歩み方ではなく、主の前に信仰を働かせて向上して行こうと
する心がなければ出てきません。私たちは、完全な者となるため、過去の自分はリセットされた
者ですから、新しいスタートのため、向上心を働かせ、諦めずに食らいついていきましょう。
そして、前向きな流れの方向に大胆に向かっていきましょう。
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