教 会 案 内 牧 師 紹 介 定 期 集 会 特 別 集 会
定 期 メ ッセージ  シ ョ ー ト メッセージ 福 音 の 話
行   事 教 会 新 聞 掲 示 板 リ ン ク 事 務 室
 

2005年3月6日


「完全な者に!」

Uコリント13章5〜9節


 @  神が私たちに願っておられることは、私たちが“完全な者”になることです。
 
 そこで今朝は、そのために必要な“向上心”について学びたいと思います。



  A さて、パウロはコリントの教会に対して言いました。「自分は弱くてもあなたがたが強けれ

 ば、喜ぶのです。私たちはあなたがたが完全な者になることを祈っています。」
と。ここに彼の、

 コリントのクリスチャンたちへの願いが集約されています。完全な者になるということは、

 コリントの人々に、その素質があったからではありません。むしろ彼らには多くの問題があり

 ました。その上、世にあっては取るに足りない者、また見下されている者たちでした。にもかかわ

 らず、「しっかりやれ。」と言うに止まらず、「完全な者になることを願っている。」と言ったので

 す。完全とは、妥協せずにトップを狙えと言うことではないでしょうか。それは、あくなき向上心を

 もって努力し前進せよ
という事です。それは、今、私たちにも言われていることなのです。


 B では、完全な者になることを目指していくには、どうしたらいいのか考えてみましょう。

 私たちは自分の弱さや出来の悪さ、過去のさまざまな失敗をイヤというほど知っています。

 コリントの人々も、知者や、権力者、金持ちは多くはなく、見下された無に等しい者たちが大勢を

 占めていました。神はあえて無に等しい者を選ばれたのです。弱さの中に神の栄光が現わされる

 ためであり、人を誇らせないためでした。しかし、パウロ自身は、人間的にも優れた能力を持って

 いましたが、神はあえてハンディを与え、その能力を狭められました。眼病という肉体のトゲに

 よって、自らの手で自由に書くことが出来なかったのです。神はあえて、弱さを持っている者を

 使われる方なのです。しかし神は、弱い者だから「ほどほどでいいよ」とは言われません。


 どこまでも“完全な者になれ”と言われるのです。何故でしょうか。私たちクリスチャンは、

 イエス・キリストの贖いによって、過去の自分の一切をリセットされ、新しくされた者です。

 即ちキリストの中にあって、新しい可能性の中に生かされた者なのです。ですから「完全な者に

 なりなさい。」と言われているのです。過去の出来の悪い自分はリセットされたので、前向きに

 努力していく時、それまで出来なかったことが出来るようになってきます。そこで私たちは、

 神が下さった新しい能力を発見するようになるのです。こうして私たちは、リセットされた、

 新しい可能性の中に生かされている自分を見ていくのです。この経験を積んでいくとき、私たち

 の信仰は成長していくのです。


  C 私たちクリスチャンは、常に、信仰の決断を求められています。それは、石橋をたたいて先に

 進むという、自分の可能性を見た歩み方ではなく、主の前に信仰を働かせて向上して行こうと

 する心がなければ出てきません。
私たちは、完全な者となるため、過去の自分はリセットされた

 者ですから、新しいスタートのため、向上心を働かせ、諦めずに食らいついていきましょう。

 そして、前向きな流れの方向に大胆に向かっていきましょう。  





                               
 *メニュー
      * 教 会 案 内
      * 牧 師 紹 介
      * 定 期 集 会
      * 特 別 集 会
      * 定期メッセージ
      * ショートメッセージ
      * 福 音 の 話
      * 行       事
      * 教 会 新 聞
      * 掲  示  板
      * リ  ン  ク
      * 事  務  室