@ 今朝は、「自分を神のしもべとして推薦している。」と言ったパウロの生き方から、「捨て身の
信仰」について学びたいと思います。
A さて、4節の、「あらゆることにおいて、自分を神のしもべとして推薦している。」と言った
パウロの言葉には重みがあります。それは、彼の一生涯が、神のために生きることを貫き、キリスト
のために生きた人だからです。目に見える家族のために戦い、死んでいく人は大勢います。しかし、
目に見えない神のために生きるということは、自分の益のためではないので、難しいことです。
いくら神のためといっても、つい自分のために生きてしまうのです。ところがパウロは、この神に
対して、自分を神のしもべとして推薦することが出来るほどに、真実に生きたのです。
B では、パウロの神に対して生きた人生とは、どのようなものだったのでしょうか。
それは、逆境の連続です。むち打たれ、入獄、暴動、労役、徹夜、断食、悪評、そしり、という非常な
忍耐と、苦しみの中で、自分を神のしもべとして推薦していったのです。 それは、パウロが、神に
対して本気で生きて来た証です。というのは、神には私たちの心が全て読み取られ、決してごまか
しは出来ないからです。にもかかわらず、パウロがこの神に対して自己推薦できたのは、彼が本気
でウソのない生き方をし、徹底して神のために生きてきたからです。彼は殺される日まで、
キリストを証しし、生涯を貫いてキリストのために生きたので、このように言えたのです。
この本気の人生こそ、クリスチャンの生き様であり、私たちの目指すところです。しかし、神の前に
生涯真実な心で生きて行けば、何でもかんでも益となり、自分の願い通りの事が起こってくると
いう訳ではありません。例えば、ユダ王国の最後の王ゼデキヤは、バビロンの王に包囲された時、
預言者エレミヤを通して降伏するように求められました。「バビロンの王に降伏すれば、エルサレ
ムの町は火で焼かれず、あなたもあなたの家族も生きのびる事が出来る。しかし、降伏しなければ、
町は火で焼かれ、あなたも家族も死ぬ。」と。それに対してゼデキヤは、「もし降伏すれば、王のくせ
に何故、身を売ったのかと同胞に袋叩きにされるのではないか。」と恐れ、降伏せず戦う方を選ん
だのです。その結果、神様が言われた通り、悲惨な結末を味わったのでした。 自分の願い通りの
道ばかり求めていては、神に従い通すことは出来ません。ですから、神の前に推薦するというの
は、たとい損なこと、イヤなことであっても、捨て身で従って行く信仰でなければいけないので
す。
C 私たちも、残りの生涯を神の前に自分自身を推薦していきたい。そのためには、嘘のない
真実な信仰を持って、捨て身で仕えていくことです。自分を守って逃げていては、神に対して信仰
の生涯をまっとうできません。捨て身の信仰こそが、神の前に自分自身を推薦していくことなので
す。
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