教 会 案 内 牧 師 紹 介 定 期 集 会 特 別 集 会
定 期 メ ッセージ  シ ョ ー ト メッセージ 福 音 の 話
行   事 教 会 新 聞 掲 示 板 リ ン ク 事 務 室
 

2005年2月27日


「捨て身の信仰」

Uコリント6章1〜13節


 @  今朝は、「自分を神のしもべとして推薦している。」と言ったパウロの生き方から、「捨て身の
  
  信仰」について学びたい
と思います。


 
 A さて、4節の、「あらゆることにおいて、自分を神のしもべとして推薦している。」と言った

 パウロの言葉には重みがあります。それは、彼の一生涯が、神のために生きることを貫き、キリスト

 のために生きた人だからです。目に見える家族のために戦い、死んでいく人は大勢います。しかし、

 目に見えない神のために生きるということは、自分の益のためではないので、難しいことです。

 いくら神のためといっても、つい自分のために生きてしまうのです。ところがパウロは、この神に

 対して、自分を神のしもべとして推薦することが出来るほどに、真実に生きたのです。



 B では、パウロの神に対して生きた人生とは、どのようなものだったのでしょうか。 

  それは、逆境の連続です。むち打たれ、入獄、暴動、労役、徹夜、断食、悪評、そしり、という非常な

 忍耐と、苦しみの中で、自分を神のしもべとして推薦していったのです。 それは、パウロが、神に

 対して本気で生きて来た証です。というのは、神には私たちの心が全て読み取られ、決してごまか
 
 しは出来ないからです。にもかかわらず、パウロがこの神に対して自己推薦できたのは、彼が本気

 でウソのない生き方をし、徹底して神のために生きてきたからです。彼は殺される日まで、

 キリストを証しし、生涯を貫いてキリストのために生きたので、このように言えたのです。


 この本気の人生こそ、クリスチャンの生き様であり、私たちの目指すところです。しかし、神の前に

 生涯真実な心で生きて行けば、何でもかんでも益となり、自分の願い通りの事が起こってくると

 いう訳ではありません。例えば、ユダ王国の最後の王ゼデキヤは、バビロンの王に包囲された時、

 預言者エレミヤを通して降伏するように求められました。「バビロンの王に降伏すれば、エルサレ

 ムの町は火で焼かれず、あなたもあなたの家族も生きのびる事が出来る。しかし、降伏しなければ、

 町は火で焼かれ、あなたも家族も死ぬ。」と。それに対してゼデキヤは、「もし降伏すれば、王のくせ

 に何故、身を売ったのかと同胞に袋叩きにされるのではないか。」と恐れ、降伏せず戦う方を選ん

 だのです。その結果、神様が言われた通り、悲惨な結末を味わったのでした。 自分の願い通りの

 道ばかり求めていては、神に従い通すことは出来ません。ですから、神の前に推薦するというの

 は、たとい損なこと、イヤなことであっても、捨て身で従って行く信仰でなければいけないので

 す。



  C 私たちも、残りの生涯を神の前に自分自身を推薦していきたい。そのためには、嘘のない

 真実な信仰を持って、捨て身で仕えていくことです。自分を守って逃げていては、神に対して信仰

 の生涯をまっとうできません。捨て身の信仰こそが、神の前に自分自身を推薦していくことなので

 す。 





                               
 *メニュー
      * 教 会 案 内
      * 牧 師 紹 介
      * 定 期 集 会
      * 特 別 集 会
      * 定期メッセージ
      * ショートメッセージ
      * 福 音 の 話
      * 行       事
      * 教 会 新 聞
      * 掲  示  板
      * リ  ン  ク
      * 事  務  室