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2005年1月16日

                                                                                 
「強い心で求める」

ルカ11章5〜13節

                        


@ 今朝は、「何としてでも、願い事を聞いてもらいたい。」というテーマに沿って学びたいと思い

ます。


A さて、私たちは長い間、「空っぽの器に油が満たされる。」と知って、御霊の満たしを求めて

来ました。そして、神はここに至って、「今がその時だ。」と言われます。「だから、“強い心”を

持って求めなさい。求める者に、蛇やさそりを与えはしない。」と。これまでの私たちは、

“これしかない”という徹底した強い意識が薄かったように思います。

というのは、「こんな者では、だめじゃないかな。」という消極的な思いが見え隠れしていたから

です。しかし今「自分がどうの、こうのではなく」、強い心を持って求めていく時が来たと思い

ます。

B では、“強い心を持って求めていく”とはどういうことでしょうか。

それは、「何が無くても、まず聖霊の満たしを実現して欲しい。そのためなら、何でもします。

自我でも何でも砕いていきます。」という気持ちです。
主は、その強い心を信仰と言って下さるから

です(ルカ5:20)。確かに、私たちはこの地上に在って、さまざまな物を与えられています。

家や車や地位や家庭、どれも大事なもので、かけがえの無いものです。しかしながら、それらの

大切なものも、霊的祝福のためなら、それらも天秤にかけることはできません。

主は言われます。「しもべは、二人の主人に仕えることは出来ません。あなたがたは、神にも仕え、

また富にも仕えるということは出来ません。」
と。また「自分の父、母、妻、子、兄弟、姉妹、そのうえ

自分のいのちまでも憎まない者は、わたしの弟子になることができません。」
と。アブラハムさんは、

ようやく与えられた一人息子さえ、神に捧げなさいと言われたのです。今、私たちが手にしている

ものはみな、必要に従って、神様から与えられた大切なものです。しかし、それさえ、私たちの心が

それに縛られ。支配されるとするなら、それらはもはや自分の偶像になっているのです。

それらは、私たちが支配し、使っていくべきものであって、仕えていくべきものではありません。

アブラハムにとって、跡取り息子イサクは、かけがえの無い一人息子です。しかし神は、その子を

通してアブラハムを試みられ、本心を知ろうとされました。出エジプトしたイスラエルの民も、

荒野に導かれることによって40年間訓練されました。神なしには生きられないということを知る

ためでした。私たちも、この十数年訓練を受けてきました。それは私たちが、多くのものを手にして

も、神からの霊的祝福が無ければ、心の喜びも満足も無いことを知るためでした。何はともあれ、

「まず霊的祝福がほしい」、これしかない、とはっきりと自覚し、心を向けていく信仰のためでし

た。この会堂も、「何としても欲しい」という強い心をもって求めたものです。しかしながら、

私たちが本当に欲しいものは、天からの霊的祝福です。この祝福があってこそ、与えられた会堂

も、意味があるからです。

C 私たちの心には、一旦手にしたものは手離したくないという心があります。しかし、そこに

心を向けていたら、霊的祝福を失ってしまいます。私たちにとって、神の祝福以外では、満足

できるものは何もありません。ですから、この強い心をもって求めて行こうではありませんか。


 


                      

                               

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