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2004年 NO.39

             
『この上もない祝福』   
  

「エソウは、『見てくれ。死にそうなのだ。長子の権利など、今の私に何になろう。』と言った。

   ・・・こうしてエソウは長子の権利を軽蔑したのである。」   (創25:32〜34)



物事には、人間の側から見た真理と神の側から見た真理の二面性があります。神の存在を認めない

世界では、人間の一方の側から見た一面だけを真理として見ようとします。エソウは、「見てくれ、

死にそうなのだ。長子の権利など今の私に何になろう。」と言って、長子の権利を自分の側からしか

見ようとしませんでした。しかし、それは神様の側から見たら、大変な損失を被ることです。逆に、

ヤコブは、人間の目から見たら、ずる賢く、抜け目のない人だったことでしょう。しかし、彼は、
          
神の目から見た永遠の嗣業(長子の権利)を、この上もない祝福と考えたのです。ですから、人間の
  
こうかつ
目には狡猾に見えても、神の目には、長子の権利を軽蔑するエソウより、ヤコブの方がアブラハムの

信仰を受け継ぐにはふさわしい人物であったのです。
イエス様は、「不正の富で、自分のために友

をつくりなさい。そうしておけば、富がなくなった時、彼らはあなた方を永遠の住いに迎えるので

す」と言われました。(ルカ16:9) 
私たちは、どんなことがあっても、長子の権利を軽蔑して

はいけません。たとえ、お腹が空いて、死にそうになったとしてもです。なぜなら、たとえ死んでも

永遠の住いに迎えられるのですから。だからまず神の国と神の義を、第一に求めていく心を、この上

もない大切なものとしていきましょう。



                                    



     
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