「『あれは私の妹です。』と答えた。リベカが美しかったので、リベカのことで、
この土地の人々が自分を殺しはしないかと思ったからである。」 (創26:7)
イサクは、リベカのことで「自分が殺されるのではないか」という不安を、信仰によってへし折る
ことができませんでした。そのため、妻を妹と偽って自分を守る、卑劣な行為をしてしまったので
す。ここに神を信じ切れないイサクの心の弱さがありました。このことは、信仰の人、アブラハムも
同じでした。人は始めから、完全な信仰を持っている人はいません。このような恥をかいて、その信
仰が正されていくのです。そして、神様の前に「一杯の食物のために、長子の権利を軽蔑するような
ことはしていけない」ということを学び、不信仰と疑いを自分の意志で、へし折って退ける完全な
信仰を学んでいくのです。すると、アブラハムのようにイサクさえ主に献げるという『完全におとな
になった信仰』(エペソ4:13)へと導かれていくのです。私たちも、幼子であった不信仰の時代
から、大人の信仰へと導かれてきました。今こそ、自分の意志を用いて不信仰をへし折り、マジに
信じていく生きた信仰の証しを表わしていきましょう。信じる者の上に働く、神の偉大な力を見る
ために!
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