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2003年7月20日


「苦しみも益


ローマ8章26〜39節 



@ 今朝は、「神のご計画に従って召された人々のためには、神が全てのことを働かせて益としてく

ださる。」
ことについて学びたいと思います。



A さて、私たちは、苦しみや困難がやってくると、「神がおられるなら、何故こんな事が起こって

来るのか。」と勝手に考え、神を遠くに感じたりします。そして、「神に助けを求めても、ダメなものは

ダメなんだ。」 と不信仰になり、自分の考えに頼ってやってしまいます。このような中にあっては、

「神が全てのことを働かせて益としてくださる。」ということを、現実に味わっていくことは出来ま

せん。


B では、「神が全てのことを働かせて益としてくださる。」という信仰は、どのようにして私たちの

心に刻まれるのでしょうか。そもそも私たち人間は、自分が造った世界に生きているのではなく、

神が創られた創造の世界に生きている者です。ですから、私たちは、全てのものの創造主であられる

神の主権によって生かされ、この方のご計画によって召され、その中に生きる者とされたのです。

その中で、パウロが、「あなたがたは、キリストのために、キリストを信じる信仰だけでなく、キリス

トのための苦しみをも賜わったのです。」と語っているように、神は私たちに困難や苦しみや試練を

も与えられます。それは、私たちが多くの実を結ぶ者となるための訓練であり、私たちの益となるた

めの訓練なのです。
しかし私たちは神を信じた時、これからは全て自分の願い通り、思い通りに行く

だろうと、バラ色の未来を考えたのではないでしょうか。ですから苦しみや困難がやって来ると、

「こんなはずではない。」と当たり前のようにして不平を言い、不満をぶちまけていたのです。そして

忍耐出来なくなって、自分の考えや判断で解決しようとして動いていました。これでは、「全てのこ

とを働かせて益としてくださる」神の業を見ることが出来ませんでした。だから、私たちの信仰は

益々減少していく結果となってしまっていたのです。今私たちは、「いついかなる時も、又、どこに

在っても神の御手があること」
を先ず認めるべきです。そうすれば、どこまでも神に信頼し、委ねる

心を持って忍耐して行こうとします。すると、神がすべてのことを働かせて益としてくださること

が現実となり、その幸いを味わうことになるのです。現に、10年前の体験は苦しいものでした

が、それによって、私たちの闘いは血肉に対するものではなく、もろもろの悪霊に対するものである

事が明らかとなりました。そして、私たちの弱い所に働く悪霊の働きに目を開かれ、その働きに対す

る警戒心と慎みの心を持つようになり、堅く信仰に立って立ち向かっていく積極的な心が生まれて

来たのです。



C 
今、信仰のゆえに苦難の中にある兄弟も、自分の願いとは反する環境の中に置かれながらも、

御霊からくる思いの中で忍耐し、訓練を受けています。神は、その苦しみをも、全てのことを働かせ

て益としてくださるのです。神が私たちの味方なのですからどこまでも信頼し、神が全てを益として

くださることを味わって行きましょう。


 





                               

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