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2003年7月27日


「永遠のいのち


第Tコリント15章35〜58節 



@ 今朝は、イエス・キリストによって頂ける永遠のいのちと、御霊のからだ(天上のかたち)に

ついて学びたいと思います。



A さて、キリストを信じる者は、永遠に生きていける命の約束を与えられています。しかしそれは

漠然としていてリアル感に欠け、むしろ、”死“の方がリアルに感じられます。死は、誰にも避けられ

ない現実であり、身近に体験するものだからです。確かに私たちのからだは日ごとに衰え、年を重ね

ていくに従って硬くなり、バランス感覚が衰え、言い知れない寂しさを感じてしまいます。子育てが

終わり、「さあ、これからが自分の人生だ。」と思っても、からだの自由は利かなくなっており、言う

ことを聞いてくれないのです。聖書は言います、「全ての人は草、その栄光は、みな野の花のようだ。
                                         おうか
草は枯れ、花はしぼむ。」と。一時は輝いて、人生を謳歌しているように見えました。しかし、どんなに

名声を得て栄誉栄華を我がものとしたとしても、必ずや、しぼむ時が来るのです。実に栄光は一瞬で

あり、凄いスピードで死がやって来るのです。何のために生きていたのかナ、と、空しさを覚えてしま

うのです。しかしキリストを信じる者は、死んでも甦るという希望があるのです。



B では、死者は、どのようにして甦り、どのようなからだを持つのでしょうか。 私たちは、もし今

死んだら、そのままのからだで甦ることを想像してしまいます。

 しかし聖書は言います。 「朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものに甦らされ、卑しいもので蒔かれ、

栄光あるものに甦らされ、弱いもので蒔かれ、強いものに甦らされ、血肉のからだで蒔かれ、御霊に

属するからだによみがえらされるのです。血肉のからだがあるのですから、御霊のからだもあるの

です。私たちは土で造られた者のかたちを持っていたように、天上のかたちをも持つのです。」
と。

私たちの周りにあるものはみな朽ちていくものばかりです。私たちのこの血肉のからだも地の塵と

同じ元素で出来ていますから、死んだ時には地に帰るのです。私たちは、自分のいのちを自分でコン

トロールすることも出来ない、実に弱い者、さびしい者なのです。しかし、こんな土の器も天にある

神の国にふさわしい天上のかたちを頂き、死も苦しみもない、天の御国で永遠に過ごすことが出来

るのです。
なんと素晴らしいことではないでしょうか。この地上の人間社会は、争いに満ちた損得の

世界です。しかし、神を信じ、天上のかたちを頂ける確信と喜びを持って生きて行く生き方があるの

です。


C 創造主である神がおられなければ、私たちは存在しませんでした。この神は私たちに永遠を思う

思いを与えられました。
ですから、「人は死んで終わりではないぞ」、と直感しているのです。死人に

はその人自身を感じさせるものはありません。だから燃やせるのです。 私たち一人一人がその

”自分“を持っているのです。その自分は死んだらどこにいくのでしょうか。  神に罪を赦された

時、天上に行く者とされるのです。どうぞ、天に行く者とされてください。 


 





                               

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