@ 今朝は、私たちが聖霊の満たしを求め始めてからの出来事を思い返しながら、私たちには、
神を信頼し続けていく道以外ないことを確認したいと思います。
A さて、私たちは、「聖書に書いてあることは今日も起こる」、ということを証しして行きたい
と願い、聖霊の満たしを求め、祈り始めました。しかし、その時同時に「求め始めたら、苦しい待ち
望む期間を通らねばならないと。」と直感しました。確かに私たちは、多くの厳しい取り扱いを
受けてきました。個人的にも、地獄の苦しみを味わってきた十数年でした。しかし、幾多の厳しい
取り扱いの中にありながらも、一人も失われることなく待ち望み続けることが出来たのは、神が
私たちを捉えていてくださったからです。
B では、何故これほどまでにして求め続けるのでしょうか。
初め私たちは、聖霊そのものについて目が開かれていませんでした。しかし、全員が毎日聖書を読み
続けていく中で、「もし今、聖書の言がその通りにならないのなら、力のない単なる言葉になって
しまう。それでは言葉だけを伝えることになってしまうが、それでいいのだろうか。 私たちは、
ただ日曜日に教会に来るだけのクリスチャン生活を送れたらそれでいい、と思っている訳ではない。
聖書の神は、生ける全能の神であられ、不可能を可能にすることのできる方であることを、
私たちは証ししていきたいのだ。私たちはそう信じているからだ。そのためには、神が共にいて
働いてくださらなければ出来ないことだ。」と考えるようになりました。こうして私たちは、御霊の
満たしを願い求めるようになったのです。しかし、それから十年余りが経ちました。いつ私たちの
願い通りになるのかは誰にも分かりません。神様の御心次第だからです。
こんな時励ましてくださるのは、神の御言葉であり、神に従い続けた信仰者たちの証です。
特に今学ばされているのは、アブラハムさんの信仰です。 彼の妻サライは、不妊の女でしたが、
「あなた自身から生まれ出て来る者が、あなたの跡を継がなければならない。」との約束を頂いて
おりました。それから25年間待ち続けてきました。その間、体は枯れていき、子を宿す力もなく
なったのです。そんな時、神は「サラが男の子を産む」、と言われました。 アブラハムもサラも
笑ったのです。 余りにも現実的ではなかったからです。アブラハムは、人間的に可能性のある
奴隷の子イシマエルを跡継ぎに、と言いましたが、神はそれを強く否定され、サラが産む子だと
言われたのです。そして1年後、神の奇蹟が起こりました。
C 神は、私たちを捉えてくださっています。「神の賜物と召命とは変わることがありません。」
ですからここまで来れたのです。 私たちは、信じ続けることを通して、このアブラハムの信仰
に習うものとして、信仰の生涯を全うして行きましょう。
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