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2025年2月1日

自分の正義感は偽善であると正直に認め、
全能主に「素直に信頼する純な心」を貫いて行く事

ルカの福音書 20:27~40 


(起) ルカ20章27節以降のサドカイ人の質問の記事から、「自分の正義感は偽善であると正直に

認め、全能主に『素直に信頼する純な心』を貫いて行く事」
を学びたいと思います。


 
まず、初めに全能主の存在を、耳の仕組みから見て行きたいと思います。人間の耳は、とても高機能

です。未だに、耳と同レベルの補聴器を作る事は出来ません。音の本質は振動です。はじめは空気の振動

だったものが、()(かい)で受け止められて、外耳(がいじ)を通って鼓膜に達し、中耳(ちゅうじ)で増幅され、

内耳(ないじ)
で電気信号に変えられて、最後は脳に伝えられ、言葉と音声を理解することが出来るのです。

耳で音を聞き取る「器官」と、それを理解する「脳」はワンセットで存在しないと、どちらも役には立ちま

せん。例えば、見知らぬ国の人の声を、いくら拡声器で大きくしても翻訳機がなければ、何の役にも立た

ないのと同じです。脳は、この翻訳機の働きをします。この脳に送られた信号は「一次聴覚(ちょうかく)()」と

「二次聴覚(ちょうかく)()」に伝わり、その後「ウェルニッケ野」に伝えられて、ここで言語を判断し、

言語の意味を解析
します。そして、音の意味を理解した時、初めて「聞こえた」となるのです。さらに

「ウェルニッケ野」は、会話を司る「ブローカ野」と超高速で連携を取るため、私たちは音を聞き、

即座に理解して、リアルタイムで自由な会話が出来るのです。決して偶然に出来る代物(しろもの)ではありま

せん。また、「すべては長い時間をかけて徐々に出来上がった」と言う進化論では、進化途中の役に立た

ない代物は淘汰されて消えていきます。しかし、私達の「耳」が役に立っているのは、初めから完璧な耳と

完璧な脳が創造されているからです
。こんな凄い耳の仕組みは勝手に出来上がるものではありません。

聖書が言うように、技術力のある創造主によって、はじめから全てが設計されて、存在するのです。耳は、

「ウェルニッケ野」という言語を理解する脳とセットですから、「言語ありき」で造られています。まさに、

聖書は「初めに言が存在した。そして、この言は、全能主と共に存在した。この言は創造主であった。」

(ヨハネ1:1)「すべてのものは、この御方によって生じた。」(ヨハネ1:3)
と証言している通り

なのです。


(承)さて、私達の体は隅から隅まで、初めから考え尽くされて創られていますので安心して生きて行け

ます。しかし、聖書には、この御方を信頼するどころか、反抗する人々の姿も記されています。ルカ20章

27節から見て行きますと、サドカイ人達がイエス様の所にやって来て質問しました。当時、ユダヤ人の

中でも、パリサイ派は復活と御使いの存在を信じていましたが、同じユダヤ人でも、サドカイ派といわれる

人々は、両方とも信じていませんでした。そこで、このサドカイ人は、イエス様を言葉の罠に()

ようと近付いて来て、「モーセの律法には、『もし妻を持つ兄弟が死んで、子がなかった場合、弟がその女を

娶って、子を残さなければならない』とあります。そこで7人の兄弟がいて、皆が同じ女を娶って死に、

この女も死んだ場合、復活の時には、この女は誰の妻になるのですか」と質問をしました。人間は、ちょっと

でも自分に知識があると、イエス様にさえも正義感を持って向かって行き、このような悪知恵を働かせて、

言葉の罠にはめようとするのです。しかし、彼らの質問には矛盾があります。もし彼らが「モーセの律法

にはこう書いてあります」と言って、モーセの律法を肯定するなら、復活も御使いも信じなければなりま

せん。ここに彼らの裏腹な心があるのです。イエス様は、彼らのその裏の部分を見抜き、「復活して

御国に入る事ができる人は、(めと)ったり(とつ)いだりする事はありません。彼らは御使いのようであり、

全能主の子として、もう死ぬ事はないのです」
と答えられました。そして、ヤハウェは「アブラハムの

全能主、イサクの全能主、ヤコブの全能主」
と呼んでいる箇所を引用し、ヤハウェは「アブラハムの全能主

である」
と現在形で書かれている事を示し、「アブラハムは復活して今も生きている」事を明らかにされ

ました。こうして、イエス様はサドカイ人の裏腹な心を見抜いた上で完璧に返答され、彼らの悪賢い考えを

見事に打ち砕かれたのです。ですから、彼らの正義感は偽りであり、イエス様の前には全く通用しなかった

のです


(転)では、私達はどうでしょうか。実は、私達もこのサドカイ人と同じで、正義感を持って意見を言い、

正しいことを言う事は、良い事だと思い込んでいます。しかし、正直に自分の心の中を見たら、都合の

いい時は正しい事を言いますが、都合が悪くなると平気で反対の事を言って誤魔化します。正義感に一貫性

がないのです。
私達は、その事実を正直に認め、自分の正義感は偽善だと自覚するべきです。それは、

パリサイ人もサドカイ人も、信者も未信者も同じです。自分も含め、全世界の人間は皆、「自分が正しい」

と言い切る事は決してできないのです
私達にとって、正しい御方は全能主だけです。そして、全能主

だけに信頼し切って従って行くのです。自分の頭で考えて答えを出そうとすると、自分の正しさを人に

認めて貰おうとして、偽善者になるのです。しかし、全能主だけが正しいのですから、「全能主が言われる

ならそれでいいのだ」と心で認め切るのです。全能主に対して、「そのまま信じて行く」という信頼感を

持ったら、その心は平安になります
。この信頼する純を、どこまでも高めて行くのが、クリスチャンの歩み

です。

(結)こういうわけで、人間がいくら頭を使い考えても、それは、狡猾な蛇が持ち込んだものです。

ですから、人間の知恵は堕落しているのです。エバから受け継いだ悪賢さは、イエス様の前には

通用しません。簡単に論破されてしまうのです。しかし、心は通用します。何故なら、心の中に

御霊が入っているからです。
ですから、まずは「自分自身の心で聞いて、心で応答する」ことを

習慣にして下さい。それが、肉の考えから離れる方法です。頭で聞いて、直ぐ頭で応答すると、

律法的な正義感に立って判断し、しゃべり始めます。しかし、「自分の正義感は偽善である」と思い

知るならば、心がその言葉を止めます。そして、律法的な考えから方向転換し、全能主の考えに

切り替えて話すようになるのです。
すると、平安が来ます。そして、「全能主に対して素直に信頼し、

純な心で信仰を貫いて行こう」
という思いになります。この霊的な心の使い方を始め出して行こう

ではありませんか。


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