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2024年7月7日

反抗の霊を砕いて、全能主に懸けていく信仰』

コロサイ人への手紙 2:1~14


(起) コロサイ2章13、14節の御言葉から、「全能主は、あなた方をキリストと共に生かし、私達の

一切の罪を赦して下さった。・・・また、債務証書を無効にされ、完全に破棄して十字架に釘付けにされ

ました。」
という御言葉の約束を覚え、「反抗の霊」を砕いて「全能主に懸けて行く信仰」を、スタート

させて行く事を学んで行きます。

(承)さて、最初に2章2節を見て行きますと、「父なる全能主の『キリストに関する奥義』を真に

知ってもらいたい」
とあります。この「キリストに関する奥義」とは、何かと言いますと、13~14節

にあるように「あなた方は、かつては罪の中にあり、『肉の割礼』がなくて、死んだ者でした」とあり

ます。この「肉の割礼」というのは、アブラハムが全能主を信じ、それによって義とされた事の印として

受けたものです
。しかし、私達はもともと異邦人でしたから、初めから全能主を知らず、不信仰の者で

割礼の印はなく、子供の頃から多くの罪を犯してきました。ところが、私達がキリストを信じた時に、

「全能主はキリストの贖いの故に、私達の一切の罪を赦して下さったのです。」すなわち、罪の債務を

すべて破棄して、十字架に釘付けにし、無効にして下さいました
。こんなありがたい話はありません。

しかしなが、この御言葉の通りに「罪の債務が十字架に釘付けにされた者」という現実をこの地上で、

肌で味わう事が出来ていません
。なぜなら、「それはキリストが現れる時に明らかにされ、私達が

キリストと全く同じ性質になる」(第Ⅰヨハネ3:2)
とあるように、罪が完全に釘付けにされて消え去る

という約束は、「キリストの再臨の時まで待たなければならない」とあるからです。ということは、「罪の

債務証書が破棄されて無効にされた」といっても、悲しいことに、この地上にいる間は、「私達の罪は

いつも自分の目の前にある」のです。
しかし、私達はそういう現実を(かか)えていたとしても、

キリストの救いはアオリストですから、現在の状況の如何に()らず、既に赦されてしまったのです

ですから、全能主は私達をお見捨てにならず、イエス・キリストの贖いの故に、私達を顧みて下さり

「いつも信じて従って来なさい」と言われるのです。そして、「自分の罪をちゃんと認めて、わたしの

所に来るなら、その罪を赦し、清めて下さる」(第Ⅰヨハネ1:9)と言って下さるのです。これが、


「キリストに関する
アオリストの贖いの奥義です。」ですから、私達はたとえ現状が罪深い者で

あっても、信じる事を(あきら)めてはいけません。それは、「罪を(かか)えながらも、なお遜って、

どこまでも信じる心を持ち続け、キリストに在って生きて行こう」としているかどうかを、全能主は

見ておられるからです。


(転)そこで、私達がこの奥義を正しく知っていないと、「やっぱり自分はダメだ」と諦めてしまう

可能性が十分にあります。なぜなら、私達はアダムとエバの子孫ですから、生まれながらに「反抗の霊」

を心の奥に抱えているからです。この反抗の霊は、放っておくと、「反逆の霊」に繋がって行きます。

即ち、背信に繋がってしまうのです
。それは、ヘブル書6章にはっきりと書かれています。4節の

「一旦光を受けて、天からの賜物の味を知り、聖霊にあずかった者」
とは、間違いなく、信じて

救われた者です。そして、6節を見ますと、「その者が堕落した場合、再び考えを入れ替えて、

回復させる事は不可能だからです。彼らは全能主の御子を再び十字架につけて、さらし者にする」


あります。信じた者でも、このようになってしまう事がある事が、明確に記されています。即ち、

私達の罪の債務証書が完全に破棄されて十字架に釘付けにされたはずなのに、()えて「反逆の霊」

持つなら、その反抗の故に救いの約束が破棄されてしまうということです。これは絶対にあっては

ならない事です。しかし、現実に起こっているからこそ、このように書いてあるのです。私達は

「信じた者は永遠の命を持つ」というのは変わらない真理ですが、信仰には、信じた者が『反逆の霊』

によって背信する者もいるという、
この二面性がある事を知っておかなければなりません。信仰は

ただ信じているからいいというものではありません
キリストの罪の贖いを信じたのなら、キリストに

懸けていく本気の信仰が必要です。
単なる御利益宗教ではないからです。全能主は、キリストの救いを

利用するだけの者には、見向きもされません。ですから、この背信の霊反逆の霊は天の御国には

繋がりません。その為に「反抗の霊」を砕き、どこまでも信じて行くのです。即ち、「罪人だから

もうダメだ」と諦めず、また、「信じたのに、何でこんな罪人のままなんだ」と反抗せず、たとえ

そうであっても、罪深い自分をへりくだって認め、信じ続けて行く事が、全能主の御心です。
それを

最後まで通せば、全能主は「お前の罪は全部イエス・キリストの十字架に釘付けにされているからな」

と言って、私達を天に迎え入れて下さるのです。信仰には、信じた者が全能主に懸けていく信仰の

行いが必要なのです


(結)ですから、コロサイ書に記されている「キリストに関する奥義」の実現のためには、私達の心の

中に潜んでいる反抗の霊を砕く必要があります。
それを温存していると、反抗の霊が自分の心の中で

どんどん成長して大きくなり、いずれ爆発します。患難時代に入ると、そういうクリスチャンがたくさん

起こってきます。即ち、今まで自分の心の中で抑えていた反抗の霊が吹き出し、「私達はキリストを

信じてきたのに、なぜ守られないのですか」と、身勝手な主張を出して、全能主に反逆し、背教して

しまうのです。ですから、私達は、反逆に繋がる反抗の霊を今のうちに砕いて「自分は背信の世界には

行かない。全能主に懸けて行きます」
という信仰の心を表し続けて行くべきです。その心を今しっかり

掴んでいれば、たとえ患難時代に入ったとしても、確信は失いません。どうか、今のうちに反抗の霊

砕いて、全能主一本で行くと定め、「全能主に懸けて行く信仰」をスタートさせようではありませんか。


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