2024年3月3日
『肉に頼る意識を捨て、ただ主に頼り、 主が成し遂げて下さったという信仰を体験する』
第Ⅱコリント 10:1~18
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(起) 第Ⅱコリント10章1~18節の御言葉から、「肉に頼る意識を捨て、ただ主に頼り、主が成し遂げて
下さった、という信仰を体験していく事」を学んで行きたいと思います。
(承)さて、2節では、「肉に従って歩んでいるかのように思っている人々に対しては、私は勇敢に
行動するつもりですが、それでもあなた方の所では、強気になることがないようにと願っています」と
パウロは語っています。それは、コリントの教会の中にパウロを非難する人々がいたからです。そういう
人々に対して、パウロは、強気になろうと思えば強気になれると、はっきりと主張しているのです。
なぜ、そのように大胆に言えたのでしょうか。それは、3節にある通り、パウロは「肉にあって歩んでは
いても、肉に従って戦っているのではない」という生き方が、パウロの信仰姿勢であったからです。
確かに、私達は皆、肉の中にあり、肉が強気になると、罪を現すだけの者になってしまいます。しかし、
それでも強気になるとパウロが語ったのは、全能主のためには、霊的な強気を示す必要を感じたから
です。その霊的な強気は、「要塞をも破壊するほどの強力な力」です。その力は、御霊の力であり、
全能主のために生きる者に対して、全能主が与えて下さったものです。ですから、パウロは、「たとえ、
肉にあって歩んでいても、肉に従って戦っていない」という自負心がありました。この自負心は、
私達にも必要なものです。何故なら、「全能主にあって生きる」と決めたクリスチャンは、「もう自分の
肉の力に頼る必要はない」からです。即ち、主の御心に適った判断で生きて行く道には、肉の力は必要が
無いからです。つまり、その日、その時の日常の中で、全ての事に於いて「主よ!この問題については、
どうしたら良いでしょうか」と祈り、主は聞きながら、主に成して頂く遣り方に徹して行けば、
自分の能力とは関わりのない生き方が出来るからです。この生き方は、ジョージ・ミュラーさんも
徹底的に行っていった方法です。クリスチャンには、この生き方をする特権があります。しかし、現実
では、この生き方に徹していないクリスチャンが多いのです.それは、自分の思い通り遣ろうとする
心が、生まれ乍らに染みついているからです。人間の肉にとって、主が成して下さるのを待つと
決めることは、自分の忍耐力との勝負になって来ます。そして、多くの場合、待ち切れなくて、自分で
判断して、手っ取り早くやってしまうのです。それは、頭では委ねて待つべきだと分かっていながら、
その遣り方を徹せず「全面的に委ねる」という信仰に立たないからです。しかし、全面的に委ねる
決断をして信仰に基づく方法に徹していけば、「要塞をも破壊するほどの強力な武器」を頂いている
ことを実感するのです。これが、強気になれる生き方なのです。パウロは、その生き方を知っていました
ので、ここまではっきりと語る事ができました。
(転)さて、この生き方はパウロだけに与えられた特権ではありません。私達もパウロと同じように、
強気な生き方が出来るのです。なぜなら、クリスチャンは「たとえ肉の弱さの中にあっても、主の恵みは
弱さの中に十分あります」ので、わざわざ自分自身の肉を見て、弱気になる必要はないからです。先程も
申し上げたように、度毎に主に叫び、祈って行けば、御霊様が助けて下さるのです。それが
私達の戦いの武器です。それは、要塞をも破壊するほどの力ある武器です。その力を全能主がお持ちなの
ですから、そのお方に全てを委ねて歩んで行くのが、私達クリスチャンの生き方です。特に今は悪魔が
終末に向かって、終わりの集大成をしようとする時代です。私達はそのど真ん中を歩んでいます。
となれば、尚更のこと、私達は主に信頼する明確な意識を持って行くべきです。でなければ、
全能主はいつまでも私達を「全能主の集大成の働きの為に用いること」ができません。私達は、いつも
自分自身の肉を見て、悪魔にやられ、何の勝利感もなく帰って来るようでは、全能主の役に立たないの
です。ですから、日々の現場で信仰を表し「主に助けられて、これが出来ました」、また「主がこの事も
成し遂げて下さいました」という事を、日々の現場で味わって行く事が大切です。これが私達にとって
当たり前の生き方になって行けば、信仰に確信を持つ事ができ、内なる人が日毎に新しくされて行く
喜びを、味わう事でしょう。(第Ⅱコリント4:16)。私達の外なる人は間違いなく衰えて行きます。
しかし、祈る事は日毎にできますから、内なる人は、日ごとに新しくされるのです。そして、1日1日、
1時間1時間、1分1分、1秒1秒、その時その時に、全能主の助けによって、全能主の偉大な力を見る事が
できます。すると、私達の内に信仰の確信が生まれ、日毎に主との結びつきが強くなって行くでしょう。
(結)どうか、これから毎日この事を意識して始め出しましょう。私達がこの地上のどこへ行っても、
悪魔との戦いはあります。その時、私達がもし「少しでも弱気になって引いてしまえば、たとえ、肉の力で
踏ん張っても、結局は敗北して悪魔にやられ、自分はダメだという世界に陥ってしまうのです。」そんな
事を繰り返したくはありません。その中にあって、私達が常に祈って主を見上げ、「自分が成すのでは
なく、主が成して下さる」という信仰の勝利の体験を味わって行けば、その霊的な強気は「要塞をも
打ち破る力」である事を体験して行くことになるでしょう。どうか、もう肉に頼る意識を捨て、前向きに
「ただ主に頼り、主が成し遂げて下さった事を喜んで行く信仰の経験」を積んで行こうではありま
せんか。
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